武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2016年9月15日記事のため内容が古い可能性があります。

小牧・長久手の戦いで、秀吉軍が陣を張った「龍泉寺」

2016.09.15

dsc_0139_r

愛知県名古屋市守山区にある「竜泉寺」は、元は「龍泉寺」があったと言われるお寺です。
お寺としても由緒正しいところですが、戦国ファンにとっても気になる場所なんです。

そもそもの築城者が信長の弟である織田信行で、桶狭間の戦いの前には清洲城の防衛線として兵を派遣している場所。
そして小牧・長久手の戦いでは、小幡城に進出した徳川家康を討つべく、豊臣秀吉が陣を張った場所としても有名です。

実際の戦いはありませんでしたが、大きな戦いにおいて重要な要だと思われる「龍泉寺」に行ってきました。

豊臣秀吉と徳川家康の直接対決「小牧長久手の戦い」を紐解く記事はこちら

小牧・長久手の戦いの中継地点「龍泉寺」

小牧・長久手の戦いは本陣は小牧エリアですが、豊臣方の池田恒興と森長可が徳川家康の本拠地である岡崎城を奇襲して、徳川軍を動かそうという戦法をとりました。

そのため、どんどん南下し激戦地が長久手エリアとなっています。
犬山、小牧から南下していく中継地にこの「龍泉寺」があります。

ちなみに徳川軍は小幡城。当時は尾根をつたい、相手に見えないように進軍したそうなのです。
そしてこの守山区の「龍泉寺」で陣を張った秀吉軍。

城は休日の9時から15時までしか開いていない!

龍泉寺を目指して行ったのですが、お城が境内の裏にあります。
しかし残念なことに休日の9時から15時までのとても短い時間しか開いていないのだそうです。

dsc_0139_r

私が訪問したのは休日ではなかったので、中には入れませんでした。
残念。

「龍泉寺」は名古屋城を守る尾張4観音の1つ

開祖はなんと759年。最澄が熱田を参籠中に、竜神のお告げを受け、この地に来た時に多々羅池より出現した「馬頭観音像」をご本尊としてお寺となったそうです。

空海もが熱田を参籠の時に、熱田の八剣のうち三剣を「龍泉寺」に埋納したといわれ、熱田の奥の院ともされてきました。
そのことから最澄と空海両開祖とも言われるようになりました。

しかしそれから2回、焼失を経験。
1度目は小牧・長久手の戦いの時には池田勝久によって、2度めは明治時代。
2度めは放火が原因でしたが、偶然慶長小判が見つかりそのお金で再建することができて今に至るそう。

そして、徳川家康が名古屋城築城の折、鬼門に観音様を4つ置き「尾張4観音」と言われている中の1つに「龍泉寺」はなってます。
他は、中川区荒子町の荒子観音、あま市甚目寺の甚目寺観音、南区笠寺町の笠寺観音です。

 

そしてこれは鐘撞き台。誰でも1打10円で打つことができます。打つと心が洗われるような気持ちになります。

dsc_0158_r

鐘撞き台からの景色。とても良い眺めです。

dsc_0161_r

焼失の憂き目にも遭ってきましたが、今なお地元の方に愛される開かれた「龍泉寺」。
お城は休日しか入れませんが、ぜひ訪れてみてください。

豊臣秀吉と徳川家康の直接対決「小牧長久手の戦い」を紐解く記事はこちら

 

龍泉寺城へのアクセス

住所: 愛知県名古屋市守山区竜泉寺1丁目902
電話:052-794-3647

<電車>
■ゆとりーとライン
大曽根駅より竜泉寺口下車 徒歩3分
小幡緑地下車 徒歩7分
高蔵寺、志段味方面より竜泉寺口下車 徒歩3分

■名鉄小幡駅から守山行き 小幡緑地下車 徒歩7分

<サイト>
http://www.ryusenji.com/

武将カテゴリ

地域カテゴリ

北村美桂

岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。

この記事へのコメントや情報提供をお待ちしています

ログイン してコメントを投稿して下さい。
ユーザー登録がお済みでない方は 登録画面 にて登録後、コメントを投稿して下さい。

愛知県の記事

人気記事

PR

武将名や合戦場所などで検索

地域カテゴリ一覧

徳川家康の記事

この記事の後によく読まれているおすすめ記事

バックナンバー記事

次の10件を見る

戦国武将の生涯をたどる
  • 信長公の生涯をたどる

    天下布武その生涯をめぐる
    <勝幡〜清洲〜岐阜〜安土>

  • 秀吉公の生涯をたどる

    日本一出世 その生涯をめぐる
    <名古屋〜長浜〜大阪〜京都>

    豊臣秀吉年表へ
  • 家康公の生涯をたどる

    天下泰平までの道のりをめぐる
    <岡崎〜浜松〜江戸〜駿府>

    徳川家康年表へ
  • 加藤清正年表へ