武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2017年5月17日記事のため内容が古い可能性があります。

愛知県西尾市の史跡、吉良家ゆかりの「東城城」

2017.05.17

抹茶とうなぎが特産品である西尾市。
実は吉良氏ゆかりの場所であり、あの今川義元の今川家の発祥の地でもあるというのはご存知でしたか?

私は行くまで全く知らなかったので、驚きました。
鎌倉時代あたりまで歴史を遡ってみるいいきっかけとなりました。

わかりやすい史跡ではありませんが、家系図を考えると「ええーすごい!」と言いたくなること間違いなしです。

吉良氏と松平氏が城主だった東条城

東条城は承久3年(1221年)に足利義氏によって作られたといわれる、非常に歴史あるお城です。
1582年に廃城になるまで、約360年ほど続いてたのですね。

そんな東条城自体はそこまで遺構らしいものは、現在はありません。
しかし驚くのは足利家から吉良家と今川家が始まっているということ。

まずは足利義氏の子供である長氏が「吉良」姓を名乗り、以降吉良家として続いていきます。
ウィキペディアによると、

東条城は足利義氏が作り、三男(?)義継を入らせ、以降は前期東条吉良家、吉良尊義を祖とする後期東条吉良氏の居城となった。

とあります。
しかし1563年に松平元康によって攻められて以降は松平支配となります。
三河一向一揆と戦ってた松平元康、当時吉良家は三河一向一揆側についてしまったので、松平支配となってしまったと説明看板に書いてありました。

その後松平忠吉が入る予定でしたが、1582年に沼津城城主となってからは東条城は廃城になってしまったそうです。

西尾市にある現在の東条城

東条城は小高い場所にある公園となっています。
こんな感じの道を抜けて、階段を少し登ります。

すると謎の門が出てきます。

櫓を復元したものがありますが、登るのは危険という札がでていました。
そのため、眺めるだけの櫓です。

本丸はこのようにとっても広い!
ピクニックでもできそうな感じです。
春には桜も楽しめるようです。

城の遺構らしきものが見たい方は、二の丸の八幡神社の裏手に土塁跡がほんの少しあります。

こちらが看板の縄張り図。二の丸の外側は土塁で囲われ、その外は切岸のように見えます。
そこまで防御を固めなくても、外側からは侵入しにくかったのかなと思いました。

しみじみと味わいのある東条城。
お近くに寄った際にはぜひ行ってみてください!

古城公園(東条城跡)へのアクセス

住所:愛知県西尾市吉良町駮馬城山地内
電話:0563-65-2169(西尾市観光協会)

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北村美桂

岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。

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