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関ケ原合戦の思い出が詰まった家康の宿泊施設・大垣市の「お茶屋敷跡」

2017.08.02

岐阜県大垣市にある「お茶屋敷跡」は、ボタンの名所として有名です。
ボタンの旬の時期は5月で、たくさんの方が鑑賞に訪れます。

しかしボタン以上にすごいのが、この「お茶屋敷跡」は徳川家康が上洛する途中に、休泊のために設けた施設ということ。
家康が泊まったホテルだと思うと、すごいですよね。

家康が4回も宿泊した施設

そもそもこのお茶屋敷跡とはどんな場所なのかを解説します。
慶長10年(1605)年に作られた将軍専用の宿泊施設で、徳川家康・秀忠が宿泊しています。

大垣市のホームページから引用します。

本史跡は、約170メートル四方の方形区画で、御殿を中心に建物が配され、四隅には櫓も備えていたと推定されます。
現在は、空堀や土塁などが残っており、城郭的要素を持つ貴重な遺跡として、昭和51年に県の史跡に指定されました。

現在は赤坂中学校の敷地となっていますので、遺構の半分は壊されてしまっています。
しかし残っているところは土塁や空堀があって見ると感動します。

読売新聞の関ヶ原戦勝の思い出の地に家康3泊<将軍のホテル・上>によると、1605年から大阪の陣までの11年間まで使われていて、合計4回宿泊したと書いてありました。

大垣市史によると、お茶屋屋敷跡に家康は1605年をはじめ計3回宿泊した。2代将軍の秀忠は、豊臣家を滅ぼした大坂の陣後の15年に1回泊まったが、その後は大垣城に泊まるようになった。休憩や将軍の娘が宿泊したこともあったが、「将軍のホテル」としては計4泊、11年の非常に短期間の“営業”だった。

上洛する時の宿泊としては、普通はお城に泊まるそうですがなぜかこのお茶屋敷を選んでいた家康。
一番近い城は大垣城ですが、あえてここに泊まっていたことがおもしろいですね。

実はこの場所、関ケ原合戦の際、東軍が布陣していた岡山本陣があった勝山が近くにあります。
車ですぐ行けるので、両方行ってもいいですね。

同じく読売新聞の記事を引用すると、以下のようなことが書いてあります。

実は、お茶屋屋敷の約300メートル南には、関ヶ原へ向かう前に家康ら東軍が駐屯した岡山本陣があった勝山(標高53メートル)がそびえている。岡山本陣は、一般的には野戦陣地として考えられているが、原さんは「お茶屋屋敷が中世的な本城で、岡山本陣のある勝山には詰め城があった可能性がある」と指摘する。
この場合、東軍はすでに本格的に整備された山城に陣取り、家康は麓にある中世城館のお茶屋屋敷に入ったことになる。「大垣城に近いにもかかわらずわざわざお茶屋屋敷がこの場所に置かれたのは、家康本人にとっても思い出深い、関ヶ原戦勝の顕彰地だからでしょう」と原さんは推測する。

お茶屋敷は本陣で、勝山が詰城だという説は、距離感的にそうかも!と思えます。
関ケ原合戦の時に布陣した場所に滞在することで、あの時のプレッシャーや苦労を忍びながら勝利を噛みしめていたと想像してみると見方が変わってきます。

家康にとって思い出深い場所だったお茶屋敷跡。
今は牡丹の名所で約800株のボタンが4月下旬から楽しめます。

土塁は牡丹園の奥にあるので、ぜひ寄って見学することをオススメいたします。

お茶屋敷跡へのアクセス

住所:岐阜県大垣市赤坂町

<公共交通機関>
JR大垣駅南口1番のりばから発車の名阪近鉄バス消防赤坂分署行きに乗車、

「虚空蔵口」で下車、徒歩3分

<サイト>
http://www.city.ogaki.lg.jp/0000000599.html

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北村美桂

岐阜県出身。歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営と、Google Analyticsを活用したライティングを行うWebライター。現在は参加者全員が新聞紙カブトをかぶる歴史イベント「名古屋歴史ナイト」を3ヶ月に1回開催中。会の情報はこちらでも更新中。

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