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美濃紙の発祥がなぜ垂井町に?「紙屋塚」

2018.03.05

岐阜県の紙といえば、美濃市が産地として有名ですがなぜか西濃地区の垂井町に紙屋塚という美濃紙発祥の塚がありました。
ちなみに美濃市と垂井町はかなり距離があります。

間違った情報ではなく、こちらはれっきとした正しい情報。
どういうことなのか、調べてみました。

国府の紙漉き場だった歴史

垂井町の紙屋塚は、垂井宿の中にひっそりと佇んでいます。
なぜ美濃市ではなく垂井町に美濃紙の発祥の地があるのかというと、奈良時代の美濃国府が垂井町にあったため。

美濃国府についてウィキペディアによると、以下のように書かれています。

律令制下の美濃国の中心、そして不破の関を管轄する役割のあった施設である。発掘調査により美濃国府政庁は8世紀前半に創設され2度の建て替えを経て10世紀中頃には廃絶しておりこの付近一帯に美濃国府があったと判明している。また、政庁が廃絶してからも13世紀初頭頃まで「一般集落とは異なる、比較的大きな勢力」が存在したと推測されている。
2006年(平成18年)に国の史跡に指定された。

国府とは今の県庁のようなもので、不破の関を管轄する役割があったようですね。
この紙屋塚は、奈良時代から室町時代まで「官設抄紙場(すきかみば)」で、国府で使う紙をつくっていたようです。

垂井町の文化財アーカイブには、紙漉きの技術者が勤めていたという記録があるそうです。

平安時代には紙漉きの技術者宇保良信がこの紙屋に勤めていた記録が残っています。

そのためか、全国から集まる紙の検査場でもあったようで、紙の生産に関しては中心的な存在だったようです。

このあたりは良質な紙のもとになる楮(こうぞ)が豊富に採れる場所で、垂井の泉があり水も非常に豊富で紙を作るのに適した場所でした。
しかしその後時代は変わり、製紙業から養蚕業へシフトしていき、紙の産地ではなくなっていきます。

美濃市に移った明確な理由はわかっていませんが、良質な楮が採れたからなのではと言われています。

垂井宿を1本道に入ったところに紙屋塚があります。
本当に住宅街にひっそりと佇んでいるので、見逃さないように歩いてみてください。

このあたりは戦国時代は南宮山で毛利秀元、吉川広家らが西軍として布陣していました。
南宮山と言えば「宰相殿の空弁当」という言葉が生まれたエピソードが有名ですね。

ちなみに宰相殿の空弁当とは、後ろに陣取った長宗我部元親の4男盛親の要請で軍を動かそうとしても、前にいる吉川広家らが動かないので困惑したため「今部下に弁当を食べさせている」と苦し紛れに答えたという逸話からです。

そんな垂井町が昔は美濃紙の発祥の地であったかもしれないことがわかると面白いですね。

紙屋塚へのアクセス

住所:岐阜県不破郡垂井町(その他)1335

<電車>
JR東海道 「垂井駅」徒歩10分

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北村美桂

岐阜県出身。歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営と、Google Analyticsを活用したライティングを行うWebライター。現在は参加者全員が新聞紙カブトをかぶる歴史イベント「名古屋歴史ナイト」を3ヶ月に1回開催中。会の情報はこちらでも更新中。

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