武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2019年5月24日記事のため内容が古い可能性があります。

姫路城はプレゼント? いったい誰から誰へ?

2019.05.24

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2015年の「平成の大修理」から早4年が過ぎようとしている姫路城。

人気のお城ランキングでは、必ず上位にあがっていますが、皆さんは姫路城に行かれたことはありますか?

今回は、これから姫路城に行こうと考えている方のために豆知識をひとつご紹介しますね。

 

姫路城の原型は南北朝時代に造られた

修理後、より白さが際立って美しい姫路城ですが、最初から「姫路城」と呼ばれていたのではないということは、ご存知でしたか?

姫路城の原型が造られたのは1346年の南北朝時代。
織田、豊臣、徳川の時代を愛する人にとっては、まさに戦国時代の始まり、ターニングポイントとなった時代なので、大好き!という方もいらっしゃると思います。
どんなことでもそうですが、何かが終わって新たに何かが始まるというときは、いろいろなもめごとが起きるものですよね。
この南北朝時代もその典型的なパターンで、鎌倉時代から室町時代に落ち着くまでの、ゴチャゴチャした「もめごと時代」でした。
どのようなもめごとだったかというと、大まかにいえば天皇中心の政治と幕府政治の対立。

建武の新政を行なった後醍醐天皇に反発した足利尊氏が、新たに光明天皇を天皇として立てて対抗したので、吉野に追われた後醍醐天皇は南朝として、光明天皇の方は北朝として、約60年ものあいだ戦っていたのです。
これが南北朝の時代です。

 

「姫山城」だった「姫路城」

やがて足利義満によって南北は統一されました。
ちなみに、織田信長が足利義昭を京都から追放するまでを広い意味で室町時代といいますが、南北朝時代も、京都の室町に幕府が置かれていたので、室町時代ともされます。

ちょっとややこしい時代ですね。
そういった時代に造られた姫路城は、この頃「姫山城」と呼ばれていました。
そしてその後、この姫山城の城主のひとりだった黒田孝高(くろだよしたか)は、織田信長が中国攻めをするときの重要地とするため、中国攻め司令官の羽柴秀吉にこのお城を与えて城主にしました。

この黒田孝高こそ武将であり大名である通称黒田官兵衛です。
ということで黒田官兵衛が「姫山城」を秀吉にプレゼントし、城主になった秀吉は城を整備し、城下町も整え、播磨の国の中心としての「姫路城」を確立しました。

 

【姫路城アクセス】
姫路市本町68番地

JR姫路駅および山陽姫路駅より徒歩20分。
姫路駅北口から神姫バス「大手門前」下車徒歩5分

入城料:大人(18才~)1000円
小人(小学生・中学生・高校生)300円

姫路城・好古園共通券:大人(18才~)1040円
小人(小学生・中学生・高校生)360円

開城時間:9:00~16:00
夏季(4月27日~8月31日)は9:00~17:00
休城日:12月29日・30日

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rico

教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。

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