地方の城下町から、現在の巨大都市への大改造を実現した徳川家康。初めて関東に入ったのは1590年のこと。北条氏が小田原征伐で豊臣秀吉に滅ぼされ、開拓の命を受けた徳川家康は、関東地方の中心となるべき居城を江戸城に決めた。
この当時、完成しつつあった家康の五カ国の領国を取り上げ、明らかに劣勢な関東に国替えさせられてしまう。当時の江戸は湿地が多く、現在の東京の中心まで海。すでに50代となり、築き上げたものも奪われてしまった徳川家康。当時の江戸の街づくりも難航を極めたものの、5カ国時代に培った街づくりの実績をさらに発展させ、現在の東京の町の原型を作った。
1603年、関ヶ原の戦い後、征夷大将軍になった直後に江戸城の建築に取り掛かかった。江戸城の基本設計は藤堂高虎が行い、工事は池田輝政、福島正則、加藤清正、黒田長政らが行ったと言われている。名だたる大名によって築城された江戸城は、全国一の近代的城郭へと変貌を遂げ、徳川250年の全国支配の拠点として輝き続けた。
振り返ってみると、北条氏時代の江戸城はお世辞にも立派とはいえない簡素なものだった。城下町作りのノウハウを活かし発展させ、18世紀には世界最大の都市となるまでになった。400年経った今でも、そのあしあとは東京の各所に見られる。特に皇居周りは、二の丸あたりでは梅を鑑賞したり、ランニングのメッカとして人々の憩いの場として愛されている。