家康公の三度の時代を今に残す駿府の街
駿府城 坤櫓
駿府城の二ノ丸の南西の角に位置する櫓。櫓はもともと武器庫として使われていた。屋根が二重で、櫓内部は三階構造。2014年に復元されたばかりの新しい櫓。坤とは、方位を干支で呼ぶと、南西の方角を「ひつじさる」と呼ばれることに由来。櫓は伝統的な木造建築工法を用いていて、当時の様子を忠実に再現している。
駿府城公園
輪郭式で石垣を廻らせた三重の堀を持ち、本丸の北西には5層7階の勇壮な天守を配置した城を築城。当時の面影が残るものは堀と石垣となるが、市民の憩いの場として親しまれている。現在の駿府城公園にも三重の堀が残り、「東御門」と「巽櫓」、「坤櫓」が復元されている。公園内の「紅葉山庭園」では駿河時代の名勝が織り込まれた4つの庭が楽しめる。
- 開運
- 長寿
久能山 東照宮
東照大神として徳川家康公を祀る全国の当将軍の中で、一番最初に創建された神社。徳川家康が亡くなると、遺言により久能山に埋葬され、2台め将軍秀忠の名によって1年7ヶ月という期間で神社が造営された。2010年に本殿、石の間、拝殿が国宝に指定。久能海岸から1159(いちいちごくろうさん)段をの石段を登るコースは、体力だめしに人気。
- 出世
- 金運
龍華寺
江戸時代初期、徳川家康の側室・お万の方の猶子にあたる日近上人が開いた日蓮宗のお寺。池を駿河湾、本堂の歌舞伎屋根を富士山、築山を有度山脈に見立てた須美山式庭園「観富園」のほか、天然記念物の大ソテツと大サボテン、明治の文豪「滝口入道」の文豪高山樗牛のお墓や原稿なども見どころ。
- 安産
- 厄除
- 病気治癒
臨済寺
このお寺は今川家の菩提寺で、本堂は国の重要文化財で、庭園は名勝に指定されている由緒正しきお寺。徳川家康の人質時代、この手習いの間で、今川義元の軍師・太原雪斎に様々なことを学んだ部屋。当時の部屋の様子は駿府城の坤櫓内の展示で再現されている。修行寺のため一般公開は普段はされていないが、春と秋に特別公開で見ることができる。
- 出世
- 学業成就
静岡浅間神社
静岡浅間神社は古駿河国総社として歴代の権力者たちの崇敬を受けてきた神社。徳川家康が元服式を行った場所として、以降、静岡浅間神社を深く崇敬。江戸時代でもその意思は引き継がれ、徳川家に厚く保護された。現在の社殿は1804年から60年をかけて再建され、漆塗り極彩色を施している。高さ25メートルの大社殿は唯一無比の大建築物としても有名。境内の文化財資料館には徳川家康、今川、竹田市の遺品などが展示され、こちらも要チェック。
- 安産
- 交通安全
- 商売繁盛
- 病気治癒
- 縁結び
- 家内安全
- 除災招福
- 学問成就
徳川家康銅像
徳川家康は人質として過ごした幼少期と江戸時代に移るまでの数年間、晩年の大御所時代を駿府城で過ごした。それにちなみ、静岡駅前には幼年期の「竹千代像」と甲冑姿の「徳川家康公」、駿府城公園内の「大御所」として駿府に移ってきた頃の家康の姿を表した「徳川家康公像」の3種類の銅像がある。写真は駿府城公園内の「徳川家康公像」
清見寺
徳川家康が今川家の人質として駿府にいた頃、当時の清見寺住職だった雪斎のもとを度々訪れていたと言われている。大御所として駿府に戻ってからも足繁く通ったと伝えられている。朝鮮通信使の宿舎となった寺でも有り、資料も多く残されている。徳川家康も憩いの場として利用したと言われる名勝清見寺庭園には、お手接ぎの臥龍梅などがあり、「五木三石の庭」として名高い。
宝台院
徳川家康公の側室お愛の方(西郷の局)の菩提寺。また徳川家康が父から譲られた太刀や、若き日の自画像などの重要文化財も所蔵している。本堂の両脇には徳川家康公の旗印で使っていた「厭離穢土」「欣求浄土」の文字が並んでおり、芝増上寺の黒本尊と共に家康公の守り本尊となった阿弥陀如来立像が祀られている。こちらは国の重要文化財。
富士山本宮浅間大社
徳川家康をはじめ、源頼朝・北条義時・武田信玄勝頼親子など多くの武将が崇敬したという由緒ある神社。天下分け目の大勝負、関ヶ原の戦いに勝利した時も、勝利のお礼にと本殿・拝殿・楼門をはじめ30余棟を造営したとのこと。背後に富士山を望める絶景のロケーションもこの神社ならでは。
- 安産
- 水徳
- 子安
- 家庭円満
田中城下屋敷
もともと武田家が治めていた田中城。壮年時代、徳川家康は10回近く攻め込みようやく降伏させたといわれている。大御所になってからはたびたび駿府城から田中城を訪れ、鷹狩りや友との交流を楽しんだ。また死因と言われる鯛の天ぷらを食べた場所とも言われている。
手植えのみかん
家康公が紀州徳川家から献上された鉢植えのミカンを駿府公園の元本丸紅葉山庭園に植えたと言われるみかんの木。このミカンは、当地の方言でホンミカンといわれており、鎌倉時代に中国から入った紀州ミカン(コミカン)の一種。香の強い、種のある小形のミカンが収穫できる。収穫したものは、毎年市民に分けられたり、静岡駅で旅人にも配られているとのこと。
江浄寺
徳川家康の長男・岡崎三郎信康遺髪が祀られている寺。謀反の疑いをかけられ自害させられ、その後も徳川家康が供養を弔ったといわれている。当時から参勤交代の大名や朝鮮通信使が、お参りに立ち寄ったとされ、朝鮮通信使の一行が宿泊した際の記録もある。2014年に徳川家康の外交ブレーンの金地院崇伝の直筆の書状が見つかったことでも話題に。藤の名所でもあり、5月上旬が見頃の白藤が見事。
- 結婚運
- 恋愛
両替町
金銀鋳造の町で、東京銀座のルーツ。徳川家康が京都から銀座を駿府に移し、銀の鋳造を行わせた町。家康の死後、1612年に両替町にあった銀座が江戸京橋に移された後も、出張所として扱われたことから両替町の名前がつけられた。静岡駅の近くにあり、歓楽街として有名。
小梳神社
静岡市内では最も古い時期に創建された神社の 1つといわれる。徳川家康公の時代には駿府城にあったとされ、人質時代、今川義元に対面する前にこの神社に立ち寄り、武運長久を祈願したと言われている。徳川家の崇敬が厚く、駿府城の守護神となった。境内に湧き出る「霊水・少将の井」は、病気平癒・健康増進の霊水として親しまれ、多くの人がお水取に訪れる。
- 縁結び
- 出世開運
観音正寺
西国観音霊場第32番札所。聖徳太子ゆかりの寺で、佐々木六角氏の庇護を受けていた寺院。近江に入った織田信長の軍勢に攻められ焼き討ちにあい全焼。1596年〜1615年に再興された。日本最大の総白壇丈六千手観音菩薩は圧巻。