徳川家康の生誕地、その史跡をめぐる
岡崎城
徳川家康天下統一への拠点であり、岡崎市の歴史文化の象徴である岡崎城。城の歴史は古く三河守護代の西郷稠頼の築城から、約70年後徳川家康の祖父・松平清康が入城。家康の父が殺された後は、一時今川氏の勢力下にあったものの、桶狭間の合戦後、家康が再び入城。1564年の三河一向一揆の鎮圧ののち、ほぼ全三河を平定。その後、天下統一に向けてスタートした重要な城として知られている。
- 出世開運
伊賀八幡宮
徳川家の武運長久・子孫繁栄の守。家康も、大きな合戦の時には必ず参詣したといわれ、江戸時代も徳川家の厚い崇敬を受けた神社。3代将軍家光が境内整備をした本殿・隨神門・神橋など、ほとんどが国の重要文化財としても指定されている。
- 子孫繁栄
- 事業発展
- 子授け
大樹寺
松平家・徳川将軍家の菩提寺。松平清康が建立した多宝塔は、国の重要文化財。その他、歴代将軍の等身大位牌、家康73歳の時の木像などが祀られている。桶狭間の戦いに敗れた徳川家康が、先祖の墓の前で自決しようとした時、「厭離穢土 欣求浄土」の言葉をもらい、住職に命を救われたことでも有名。
- 無病息災
- 出世開運
- 必勝祈願
東照公産湯の井戸
1542年、徳川家康が岡崎城内で生まれた時に、この井戸水を汲み、産湯に用いたと言われている。天下人が生まれた場所で、開運スポットとしても有名。
- 出世開運
東照公えな塚
岡崎城公園内にある徳川家康のえな(へその緒・胎盤)を埋めたと伝えられる塚。昔はえなを埋めて子供の成長を願ったといわれ、両親や周囲の徳川家康の未来を願う想いが伝わる場所。
- 出世開運
龍城神社
開運・出世・勝負運にご利益があると言われている龍城神社。岡崎城築城の際、龍神が現れたという伝説が残る。東照宮と映世神社を合併した社で、祭神は徳川家康公と本多忠勝公の2柱という珍しい神社。もともと東照宮があった場所に、本多忠勝を合祀したとのこと。
- 厄除
- 出世開運
- 復縁
三河武士のやかた家康館
徳川家康と家康に仕えた三河武士達の人間像を中心に彼らを取り巻く時代の移り変わりが展示されている資料館。忠誠心の代名詞でもある、三河武士の人間模様や背景が伝わる。また、鎧兜や長槍、日本刀のレプリカを実際に触ったり出来るなど、体験展示も充実。
- 出世開運
松平東照宮
松平家発祥の地である松平郷の中にある、松平平東照宮。現在は隠れたパワースポットとしても有名。竹千代( 後の徳川家康) が誕生した際、この水を竹筒に入れ早馬で届けたと言われている。その井戸は今も現存する。はじめは松平家の屋敷神として、八幡宮と称されていた。1619 年に徳川 家康を合祀し、1965 年(親氏公を合祀た。 現存する水濠や石垣は、松平太郎左衛門家九代尚栄によって関ケ原の合戦のあと築かれた。
- 縁結び
- 出世成就
しかみ像
三方ヶ原の戦いで生涯の宿敵である武田の大軍に大敗を期し、多くの家臣を失った。その時の自戒の念を忘れることのないよう描かせ、肌身離さず持ち歩いたという「しかみ像」を基にして制作された石像。
- 出世開運
- 大成
東照山 称名寺
三河松平家(徳川家)と関わりが深い時宗の檀林寺院で、徳川家康の幼名・竹千代の名を命名したのは、十五世一天和尚。戦国時代西三河文化の中心地であり、貴重な古文書がたくさんあることでも有名。和田家、松平家ゆかりの時宗の寺、境内に三州大浜東照宮がある。
- 開運
天龍山 常楽寺
8世住職は家康の母・於大の妹という徳川家ゆかりの寺。桶狭間の戦いと本能寺の変では、命を落とすかもしれない危機に陥った時に、訪れたとし徳川家康の命を2度救った寺として有名。桶狭間の合戦、本能寺の変から逃れてきたいきさつが書かれた文書も残っている。
- 開運
本多忠勝の生誕地(西蔵前城址)
徳川四天王の一人本多忠勝の生誕地。本多忠勝は生涯57回の戦のうち、一度も負傷しなかったと言われる猛将として親しまれている。西蔵前城跡の中に生誕地の碑がある。
名古屋城
名古屋城は、徳川家康が天下統一の最後の布石として築いた城。江戸幕府が体制を確立する激動の時代に、濃尾平野を見晴るかす高台に忽然と巨大な城郭を持つ。現在は本丸御殿を修復するなど、現在もなお進化を遂げようとしている。
- 開運
- 金運
- 商売繁盛
- 長寿
- 家内安全
徳川美術館
徳川家康の遺品を中心に、初代義直(家康九男)以下代々の遺愛品、いわゆる「大名道具」1万件余りを収める美術館。国宝「源氏物語絵巻」をはじめ、国宝9件、重要文化財59件など、当種類の豊富さ、質の高さ、保存状態の良さは日本随一。定期的に企画展を行っているので、その度に徳川家への歴史の造形が深まる。隣接の徳川園の庭園は四季を豊かに感じる美しき庭園。
- 金運
- 出会い
酒井忠次の生誕地(井田城址)
徳川四天王の一人・酒井忠次の生誕地。徳川家康が宿敵・武田家に勝利した長篠の戦いでは、勝利に導く奇襲をしたことでも有名。その戦いぶりに感動した織田信長から「背に目を持つごとし」と賞賛された。生誕地は酒井家の居城であったが現在は石碑があるのみ。
榊原康政の生誕地(上野城址)
徳川四天王の1人。知力にも武功にもすぐれた武将。三河一向一揆鎮圧戦で初陣を果たし、家康から武功を賞されて「康」の字を与えられた時から、館林の屋敷で息を引き取るまで徳川家に仕えた忠義の榊原康政の生誕地。現在は石碑があるのみ。
伊奈 城趾公園
徳川家康の「三つ葉葵の紋」は、もともと本多家から松平家の家紋となった「立葵の紋」が元となっている。その逸話は徳川家康の祖父の時代に遡る。吉田城を攻めた時、当時の伊奈城主・本多正忠が祖父・清康軍に加勢し、先陣をきって城を攻め落とすことに成功。正忠は清康を城に招いて勝利の祝杯を上げた時に、城内の花ヶ池にあった水葵の葉を敷いて酒肴を出したことをとても喜んだ。そこから家紋を譲り受けることにいたったというものだ。