世界都市東京の基盤をつくった家康公
湯島天満宮
1591年、徳川家康公は湯島郷の内御朱印五石を社有として寄進した由緒ある神社。受験祈願などが有名。また、谷中感王寺(天王寺)、目黒不動と並び三富と呼ばれ、幕府公認の富くじ(富突き)も発行したとも言われている。 江戸時代より「梅の名所」としても有名で、現在でも梅祭りには約45万人の参詣客が訪れるほど。
- 合格祈願
- 学業成就
- 勝負運
初音森神社
1469年に太田道灌により社殿が造営された神社。1551年に社前に馬場ができ、初午祭などには馬追などが行われと言われていて、ここで馬を商うために博労たちが集まったのが現在の馬喰町に当たる。徳川家康は関ヶ原の合戦へと出陣する徳川家康は、この馬場で馬揃えをしたと伝承されている。
- 商売繁盛
- 五穀豊穣
川勾神社 (かわわじんじゃ)
1591年徳川家康が朝鮮出兵のため九州名護屋に出陣する際、祈祷札を献上し、御朱印地50石を寄進したと言われている神社。以後、徳川家の崇敬を受け、毎年正月に江戸城へ登城して神札を献ずる習慣は幕末まで続いた。
- 安産
- 縁結び
芝東照宮
日光、久能山とならぶ東照宮の一つ。徳川家康が自ら命じて彫刻された等身大の寿像を御神像とする神社。神木の大イチョウは三代将軍徳川家光が植えたものとして大切に育てられている。
- 厄除
- 勝負運
- 魔除
増上寺
徳川家康が、自身の葬儀をおこなう様にと遺言を残した寺。境内には六人の将軍が眠る徳川将軍墓所があり、家康公が数々の危機を救ったと伝えられている黒本尊も安置されている。
- 厄除
- 勝運
伝通院
1603年徳川家康が生母於大をこの地に葬ったお寺。於大の法名「伝通院殿」にちなんで院号を伝通院という名前がつけられた。ここは徳川家ゆかりの女性の墓が数多くあり、徳川家の女性の菩提寺としても知られている。
- 救済
住吉神社
徳川家康公が奉還祭祀されている神社。関東下降の際、摂津国佃の漁夫と住吉の社の神職が大阪の住吉神社より分神霊を奉載するために江戸へ下る。こことは佃島という名前になり、海運業、各問屋組合をはじめ多くの人々から海上安全、渡航安全の守護神として信仰を集める。1646年に徳川家康も奉還祭祀された。
- 海上安全
善國寺
1595年、徳川家康によって創建された日蓮宗の寺院。鎮護国家の意を込めて、『鎮護山・善國寺』の山・寺号額をしたためたと伝えられている。火災に見まわれ、現在の場所へ移動。現在は、山手七福神の一つに数えられている。
- 開運
- 厄除
- 安全祈願
上野東照宮
1627年、藤堂高虎と天台宗僧侶天海僧正により、徳川家康公を お祀りする神社としてできた神社。関東大震災や第二次世界大戦の戦火を免れ、現在も江戸の面影を現在に残す貴重な文化財として、大切にされている。
- 厄除
- 学業成就
- 病気治癒
- 縁結び
- 勝運
日光東照宮
1617年徳川初代将軍徳川家康公を御祭神に祀っている神社。遺言により久能山に神葬、その一年後、久能山より現在の地に移されたと言われている。現在は強大なパワーがいただけるパワースポットしても有名。
- 仕事運
日本橋
徳川家康の命によって1603年に架橋されたもので、現在の橋は1911年に架けられた20代目の橋。江戸城の玄関口として、徳川家康が最初に城下町として整備したと言われている。橋銘は第十五代将軍徳川慶喜の筆によるもの。
江戸東京博物館
江戸東京の歴史と文化をふりかえり、未来の都市と生活を考える場。
常設展は、徳川家康が江戸に入府してから約400年間を中心に、江戸東京の歴史と文化を実物資料や復元模型等を用いて紹介。
浅草寺
当時、家康のブレーンの一人である天海僧正が観音様の伝説を持つ浅草寺を勧めました。浅草寺は仏様にえらばれたお寺でありこの浅草寺で祈願すれば必ず天下がとれると進言しとことにより、徳川の祈願所(寺)となりました。家康はまだ天下をとってはいませんでしたが、関東地方を治める徳川家の祈願所ということで全国から人々が訪れ、またお坊さんや学者も集まり、町が活気づきました。関が原の合戦で祈願が叶い、その勝利を導いたのが浅草寺であるということが評判になったため、全国から人々が訪れるようになりました。