武将愛 SAMURAI HEART

家康公の試練の数々を感じれる貴重な史跡の数々

浜松城

徳川家康が1570年に築城した城。29歳から45歳までの約17年間を浜松で過ごした。幕閣の闘龍門としても知られ、城主25名のうち兼任を含む14名が登用された実績を持つ「出世城」。天守閣は標高42メートル、4周を石垣で囲んだ天守台の上に設けられた。特徴は地下にある隠し井戸。

静岡県浜松市中区元城町100-2
場所を確認 GoogleMapで見る
  • 出世開運

浜松城の石垣

パッと目を引く荒々しい野面積みの石垣。これは自然石を上下に組み合わせて積む堅固な野面積みは、400年の風雪に耐え、今なお当時の面影を残している。使った石材は浜松市内の大草山、根本山などから水路を使って運ばれた。

静岡県浜松市中区元城町100-2
場所を確認 GoogleMapで見る

浜松八幡宮

三方原合戦で敗走してきた家康公が逃げ込んだとされる「雲立ちの楠」があることで有名な神社。三方原合戦で敗走してきた家康公が逃げ込んだとされる大楠の洞は天然記念物としても指定されている。

静岡県浜松市中区八幡町2
場所を確認 GoogleMapで見る
  • 出世
  • 安産
  • 縁結び
  • 子育て
  • 勝運

夏目次郎左衛門吉信の碑

夏目次郎左衛門吉信は三河一向一揆で松平伊忠に捕えられ処刑されるところを家康の寛大な処置によって助けられた。それ以来、家康に恩を感じ三方ヶ原の合戦の際、敗走中の家康の身代わりとなり「我こそは家康なり」と武田軍の前に立ちはだかり討ち死にした。家康公の身代わりとなった勇猛な家臣の碑として親しまれている。

浜松市中区布橋2丁目
場所を確認 GoogleMapで見る

犀ヶ崖古戦場

崖に布を張り、橋と見せかけ、迫る武田軍をこの谷に落としたという言い伝えから、布橋という地名がついたと言われる。徳川軍はこの崖に布の橋を渡し、犀ヶ崖北方に陣営を張る武田軍に奇襲攻撃する。それに動揺した武田側の兵馬は崖下に落ち、多数の死者を出した。崖上には石碑があり、両軍の戦死者を奉る宗円堂がある。

浜松市中区鹿谷町25-10
場所を確認 GoogleMapで見る

本多肥後守忠真の碑

武田軍に大敗した徳川軍が撤退する際に殿(しんがり)を買って出た忠真は、わが子菊丸に「主君家康を護るように」といいおいて、道の左右に旗指物を突き刺し、武田軍の中に刀一本で斬り込んでいき、39歳をもって討死した。

浜松市中区鹿谷町
場所を確認 GoogleMapで見る

普済寺

西遠地方の曹洞宗の拠点。三方ヶ原の合戦で兵火により炎上。徳川氏の庇護をうけ、家康も客殿を寄進しました。三方ヶ原合戦では兵火にあって伽藍が炎上し、その後も災禍により炎上するも復活を遂げている。パワースポットとしても人気の場所。

静岡県浜松市中区広沢1-2-1
場所を確認 GoogleMapで見る
  • 交通安全
  • 商売繁盛
  • 家内安全
  • 福徳円満
  • 災難消除
  • 心願成就

西来院

家康の正室、築山御前の菩提寺でもあり、現在は藤の名所としても有名。月窟廟内に安置されている。御前廟の西側には、武田家の人質から16歳の時に脱出し、その途中に10本の指を失った徳川家康の異兄弟にあたる松平源三郎康俊の墓もある。

浜松市中区広沢2-10-1
場所を確認 GoogleMapで見る
  • いぼとり

宗源院

普済寺十三派に伝えられる寺。徳川方の戦没者の墓もあり。室町時代後期には今川義元の庇護を受けていたお寺で、今川義元・氏真の残した判物は市の文化財に指定されている。成瀬藤蔵正義、外山小作、遠藤右近など三方ヶ原合戦の戦没者のお墓も安置されている

浜松市中区蜆塚1-20-1
場所を確認 GoogleMapで見る
  • 交通安全
  • 心願成就
  • 病気平癒
  • 眼病平癒

太刀洗の池

徳川家康の息子・信康の正室で信長の長女・徳姫が送った書状がもとで、信康と築山御前の処刑を命じられる。家康の家臣が、佐鳴湖畔で築山御前の生命を断った時、その血がついた太刀を洗った池の跡。現在浜松医療センター前に史跡碑と説明板がある。

浜松市中区富塚町
場所を確認 GoogleMapで見る

家康公鎧掛松

三方ヶ原の合戦から城に帰った家康は、この大きな松の木陰で休息を取っていた。その時に、身につけていた鎧を脱いでその松の木に掛けたことから、「鎧掛けの松」と呼ばれるように。現在の松は、昭和56年に植えられた三代目。

浜松市中区元城町
場所を確認 GoogleMapで見る
  • 出世開運

徳川秀忠公誕生の井戸

西郷局が秀忠公を生んだ場所については2説あり、ひとつは浜松城内の二の丸。もうひとつは現在の常盤町地内。現在石碑が建てられ、井戸があった位置を示すように、地面に石で井の字が組まれている。

浜松市中区常盤町
場所を確認 GoogleMapで見る
  • 出世開運

椿姫観音

椿姫とは、引間城第5代城主で女城主であったお田鶴の方のこと。お田鶴の方は永禄11年(1568)に徳川家康公に攻められ討ち死する。家康公の正室、築山御前はその死を哀れに思い、塚の周囲に百株あまりの椿を植えてお田鶴の方の霊を祀ったことから、椿姫観音と呼ばれるようになった。

静岡県浜松市中区元浜町
場所を確認 GoogleMapで見る
  • 交通安全
  • 商売繁盛
  • 無病息災
  • 合格祈願
  • 学業成就
  • 必勝祈願
  • 家内安全
  • 福徳海運
  • 良縁成就
  • 習事上達

東照宮(引間古城址)

徳川家康を祭神としている神社。社殿の扉や屋根には三つ葉葵の紋所が見られる。もともとは、室町時代に吉良氏の家来によって築かれた引間城の跡地。1568年に徳川家康は、今川方の拠点であった引間城を攻め入城し、城地を拡大して浜松城を構築した。

浜松市中区元城町
場所を確認 GoogleMapで見る
  • 出世開運

山住神社

標高1,007mの山住峠にある神社。徳川家康が武田信玄の軍に追われて、浜松城へ敗走中、山住神社に逃げ込んだ際、山全体が鳴動。山犬の大音声がおこり、それに驚いた武田勢が驚いて退散したといわれている。それ以来、徳川家康は武運長久を祈願し、二振りの刀剣が奉納されている。

浜松市天竜区水窪町山住230
場所を確認 GoogleMapで見る
  • 商売繁盛
  • 子授け
  • 家内安全
  • 安産祈願
  • 邪気退散
  • 五穀豊穣
  • 災厄消除

二俣城址

1503年、今川氏の家臣・二俣昌長が築城した城。地理的に遠州平野の扇の要に当たる重要拠点で、武田氏と徳川氏が攻防を繰り返した場所でもある。徳川家康が息子の信康を切腹させられた場所としても有名。1590年、城主大久保忠世の小田原移封によって、廃城になった。

浜松市天竜区二俣町二俣
場所を確認 GoogleMapで見る