京への要所となる地
安土城天主 信長の館
豪華絢爛な安土城を目で楽しめる博物館。1992年に開催されたスペイン・セビリア万博へ出展された原寸大の天守閣の展示も。内部には当時信長が狩野永徳を中心に描かせた「金碧障壁画」や、金箔10万枚を使用した外壁、金の鯱をのせた大屋根などがある。
安土城跡
1576年から3年かけて完成した、標高199mの安土山一帯にある織田信長の居城跡。天下布武の象徴として、家臣の丹羽長秀に命じて造らせた。現在は国指定の特別史跡となっており、石垣だけが残っている。堀や天主跡と本丸跡には礎石、また二の丸跡には、豊臣秀吉が建立した織田信長廟が残っている。
比叡山延暦寺
比叡山に広大な寺域を持つ、天台宗の総本山。平成6年に世界文化遺産に登録された。奈良時代末期、19歳の最澄が、比叡山に登り草庵を結んだのが始まり。戦国時代に織田信長によって、一山焼き討ちに遭うものの、諸堂は豊臣秀吉・徳川家康の手によって復興される。数多く国宝・重要文化財の指定を受けていて、貴重な宝物類は見る人をひき付ける。
セミナリヨ跡
イタリア人宣教師オルガンチノによって創建された目本最初のキリシタン神学校の跡。しかし、安土城と共に焼失し、現在はこの一帯のどこかにあったとして、推定地の一部が公園として整備されている。まだ具体的な場所はわかっていない。
県立安土城考古博物館
特別史跡安土城跡・史跡大中の湖南遺跡・史跡瓢箪山古墳・史跡観音寺城跡からなる歴史公園「近江風土記の丘」の中核施設として開館した博物館。第2常設展示室では、「中世・戦国時代」をテーマに、安土城を中心とした城郭の変遷や、織田信長の人物像に関する展示がある。春・秋2回の特別展と夏・冬2回の企画展を開催。
木村城跡
木村城は安土の土豪木村氏の居館の推定地。木村氏は六角氏の被官であったが、織田信長の近江侵攻後は信長に従った。 岐阜から安土に城を築城する際、織田信長が宿泊したとも言われている。現在は常楽寺の水辺を公園化した常浜公園として、市民の憩いの場になっている。
浄厳院
佐々木六角氏の菩提寺として建てられた慈恩寺の旧地に、安土城築城時、信長が伊賀と近江の浄土宗総本山として建てた寺。織田信長の命に。浄土宗と法華宗の間で行われた「安土問答」が行われた寺としても有名。
東南寺
桑實寺の子院で、上洛の際に織田信長と足利義昭が宿泊したと言われてる。正覚院に宛てた織田信長や足利義晴等の寺領安堵の書状などが見つかっている。室町幕府第12代将軍義晴の仮幕府がおかれた正覚院が浄土宗に転宗し、現竜王町へ移設されたため東南寺が正覚院の寺務と寺格を引き継いだ。
観音寺城跡
繖山に築かれた近江国守護佐々木六角氏の居城跡で山城。築城の年代は明らかではないが、戦国時代に六角高頼が、家臣に命じて築城させたものと伝えられている。山頂部には、樹間に本丸跡の石垣や石段、平井丸など3つの城郭跡が残っている。六角承偵が、織田信長の攻撃により、城を放棄したため落城となった。
常浜水辺公園
当時は観音寺城の外港で舟入跡の水路が残る場所。現在は公園となり、船の発着場、木橋、水掘、休憩所などがある。
桑實寺
西国薬師霊場の第四十六番の札所である天台宗寺院。養蚕を伝えたことからこの名がついた。荒廃していた寺を織田信長が保護。しかし1582年には、安土城の女中たちが禁足を破って参拝してしまう。これを咎めた織田信長は、女中たちと桑実寺の高僧たちを殺害する事件が起こる。
沙沙貴神社
佐々木発祥地であり近江守護である佐々木一族やその集落に住む人々の信仰を集めた神社。佐々木氏の氏神として栄えた。平安、鎌倉時代の建築様式を継承する大型木造建築県指定重要文化財8棟が並ぶ。春にはなんじゃもんじゃや、うらしま草など珍しい花が見られる。
摠見寺跡
安土城跡にある臨済宗妙心寺派の寺院の跡。現在は仁王門と三重の塔が移築されて残る。開祖は織田信長で安土城郭内に建立された。信長は近隣の社寺から多くの建物を移築し建立。
安土城信長公本廟
天主西下の二の丸跡にある信長公のお墓。羽柴秀吉が信長ゆかりの太刀、烏帽子、直垂などを埋葬して御廟としたと言われているが、はっきりしたことはわかっていない。ただ現在は織田家関係者がお墓参りに訪れるなど、信長の墓として一般的な認知度は高い場所。現在が立入禁止になっているが、門の外から見ることは可能。。