愛知の城を巡る 山中城
2024.04.20
2016.04.14
4月3日(日)に行われた大花見茶会のイベントのひとつに、中村区のマイスターによる「まち歩きツアー」が開催されました。
1日2回行わるツアー。
豊臣秀吉、加藤清正の2名のゆかりの地である中村区。どんなお話が聞けるか楽しみに参加してきました。
まずは受付をすませます。マイスターは3名、参加者は15名ほどいらっしゃいました。
まずは中村公園内の豊國神社を見学。
豊臣秀吉が神様としてお祀りされている場所なので、秀吉の馬印であった逆さひょうたんについて説明を受けます。
だからひょうたんがそこらかしこにあるのだそう。手水場にもひょうたんがたくさんあります。
石にもひょうたん?秀吉の遊び心でしょうか。
ゲストは名古屋おもてなし武将隊の踏舞(とうま)さん。一緒に歩いてくれました!
マイスターさんの無茶振り?で、急なことではありましたがパフォーマンスを見せてくれました。お見事!
中村公園の大きな鳥居を出て、おとなりの妙行寺へ向かいます。
マイスターさん3人のボケツッコミのようなお話に、すっかり楽しい雰囲気になっている参加者さん。
妙行寺につきました。妙行寺は加藤清正生誕の地として知られているお寺です。
提灯には加藤清正の家紋、蛇の目マークが。桜もとてもキレイに咲いていました。
加藤清正について説明くださるマイスターさん。
手作りの顔はめパネルもありました。地元に愛されてる感じがいいですね。
清正といえば蛇の目ですが
実は桔梗紋も有名。これは讃岐の尾藤知定の家紋です。尾藤家は秀吉の改易により、当主不在となってしまいましたが、加藤清正が肥後の大名になるにあたり、尾藤家家臣300名を全員自分の家臣として雇い入れたとのこと。
生誕地の看板。
お隣にある常泉寺へ移動。秀吉が生まれたとされる産湯の井戸があるお寺です。
立派な秀吉像があります。
お手植えの柊。トゲトゲが特徴の柊ですが、「最近は丸くなってきています」と、カドがとれて丸くなった人間性にたとえて笑いをとっていたマイスターさん。
歴女マイスターさんが産湯の井戸を説明。マイペースな男性マイスターさんをフォローし、わかりやすく説明してくださいました。
個人的に驚いたのは、木下長嘯子の住んでいた邸宅跡を見たこと。木下長嘯子は秀吉の正妻、おねの甥っ子。和歌の才能があり、晩年はおねの建てた高台寺のとなりで隠居した人です。関ヶ原の戦いでは、東軍として鳥居元忠とともに伏見城の警備を任されたにも関わらず、西軍に攻め入れられ逃走。鳥居元忠は伏見城で部下300人以上と切腹し、その時の床は京都・源光庵の血天井として今でも残っています。あの時、伏見城を一緒に守っていたらどうなっていたのでしょう。
もちろん、その責任を問われて領土は没収。遠い親戚にバトンタッチし、家はなくならずに済んだそう。ピンチの度におねが助けてくれていたようで、おね叔母さんさまさまの人生だったのかもしれません。しかし和歌の才能は秀でていたようで、当代一の歌人として名を残したようです。
最後に中村公園に戻り、最近耐震工事が完了し復活した中村公園記念館。昔は結婚式なども行われていたようです。これからここで結婚式をする方もいるかもしれませんね。
ぐるりと1周、1.5時間程度のまち歩きツアー、とっても楽しかったです。豊臣秀吉やか加藤清正以外の武将のゆかりの地として、小出秀政宅跡や木下長嘯子邸宅跡もあるので見応えがありました!
北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
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