武将愛 SAMURAI HEART

名古屋城石垣の刻印を見に行こう! Vol.11 大天守 其の十一(南壁編)

2025.07.28

名古屋城石垣の刻印を見に行こう!シリーズについて

一、なんらかのマークが付けられた石を「刻印」や「刻紋」、
 もしくは人物の名が入っているものを「刻銘」と呼びますが、
 この連載では主に「刻印」という呼び方で統一します。

一、名古屋城には膨大な数の刻印があり、
 確認されているだけで2000以上もあるのだとか。
 劣化により判別不明なものも多いため、本連載では
 目視ではっきりわかるものを中心にご紹介してゆきます。

(名古屋城の刻印についての詳しい概要はこちらの記事もご覧ください)

一、タブレットにて刻印を白や赤の線でなぞった加工画像もありますが、
 フリーハンドゆえのゆがみや想像で線を補ったものもあるため、
 あくまでイメージとしてお楽しみください。

同シリーズ記事はこちら▼
「名古屋城石垣刻印シリーズ」一覧はこちらから

 

名古屋城石垣の刻印を見に行こう! Vol.11 大天守 其の十一(南壁編)

長きにわたりご紹介してきた大天守台もいよいよラスト。
今回は南壁西側と橋台西壁を見てゆきましょう。

斜めからしか見えない南壁西側ですが、
ここにも多くの刻印があります。

大天守南壁西側の刻印①②

縦長となるので、上中下に分けてみました。
まずは、上部にあるこの二か所から。

奥にある①には3つの刻印。
左上に「輪違」、下には「団扇」が2つありますが、
この辺りになると、確認するには双眼鏡などが必須となります。

続いて、手前の白い管の左右近辺である②。
左下に「結び雁金」、右側には「丸に九の字」がある他、
新美の「鳥居」が縦に3つ並んでおります。

大天守南壁西側の刻印③④⑤⑥

ここから中段、奥の橋台に近い方から順にいきましょう。

上の③には、右に「丸に丁」、左隣には四角に斜め線の「升」。
真ん中上には「丸に六星」、下に不完全な「違い角」、
さらに下にはおそらく「丸に丁」だと思われる刻印があります。

③に下にある④は、③と同じく距離的に最も難易度が高いといえる箇所。
この石には「丸にくつわ」の印と「わた」の名前が刻まれておりますが、
「わた」の字は真ん中から割れているため、かなりわかりづらいです。

ここから目線を手前に移し、刻印が固まってある⑤へ。
左上に「違い角」と「雁金」と思われる刻印がある石、
右には丸に何らかの印があるものと「輪違」の石が。
下には、「加藤肥後守 内なんてう」+「木槌」と刻まれた石があり、
加藤清正家臣の南条、と刻まれた「加藤肥後守 内なんてう」の表記は
おそらくこの石しかないのではないかと思います。

⑥には5つの刻印があり、右上に新美の「鳥居」、
左隣に丸の中に何らかの印が刻まれた石、下には「なんてう」の石。
さらに下には「井桁」内に〇があるものと、逆さの「生駒車」があります。

大天守南壁西側の刻印⑦⑧⑨⑩

南壁西側の下部はこんな感じ。

⑦の隅石上に逆さの「矢筈」、隅石には文字らしき刻印が。
一部に石が削られておりわかりにくいですが、
「(加藤肥)後守内 (中川)太郎平」と刻まれているようです。

ちなみに、西側の隅石に同じく「中川」の名が刻まれておりますが、
あちらは「太良平」でこちらは「太郎平」。なぜ違うのか興味深いですね。

⑧は隅石の一番下付近、隅脇隣の石には「丸に六星」の刻印。
隅石の端にある「二」「三」は、一番下の隅石からカウントした数字なのだとか。
下の隅石には「加藤」という字が斜めにかろうじて見えますが、
地中の見えない部分には「(加藤)肥後守内 中川太良平」と刻まれております。

隅石の右側にある⑨には7つの刻印が。
右上から左下に「三の字」、「丸に六星」、「木槌」、「鳥居」と並び、
真ん中上には「丸に九の字」と「小代」の刻印。
左下にある石には丸がありますが、丸の内側ははっきりしません。

下段の奥にある⑩も、難易度高めの箇所です。
真ん中左に「丸にくつわ」、右に「南条」+「木槌」、
その下には、おそらく小代下総が用いたとみられる「亀甲に四つ目」の刻印。
斜めからではなく、いつか正面から見てみたい箇所です。

橋台西壁の刻印①②③

ここから、大天守と小天守を結ぶ橋台西壁の刻印を見てゆきましょう。

刻印のある石は、このように散らばっております。

上から中段あたりの範囲、まずは①から。

左上に少し薄めの「蕨」、真ん中上に「生駒車」+半分の「生駒車」、
その隣に二つの「三の字」と間に挟まれた✕のようなものがあります。

右端の②には、左に「三の字」と下に隠れた「輪違」、
そして右上にあるのが「二十人」と刻まれた石。

「二十人」は担当したグループの名称ではないかといわれております。

左下に目線を移し、③の範囲へ。
真ん中から「蕨」、「輪違」、「丸に丁」と左斜め下に並び、
さらに右端には「弦巻」+「井桁」+「キた」のような文字が刻まれた石が。

右端の石をズームし、上下反転したのがこちらです。
「弦巻」+「井桁」は、他の箇所に「下川」との組み合わせがありましたが、
この石はなぜか「キた」のような文字との組み合わせ。
「下川」=「キた」らしき文字なのか、謎が深まるばかりです…

橋台西壁の刻印④⑤⑥

目線を橋台西壁の中段から下へ移しましょう。

③のすぐ下にあたる④にも5つの刻印が。
南壁に近い左には「なりた」+「抜簾」の石、
右に「団扇」、さらに右に「杉」、上下に丸に何らか刻まれた石があります。

④のさらに下にあるのが⑤の範囲。
少しわかりづらいですが、上から「丸に結び雁金」、新美の「鳥居」、
一番下には「丸に五(旧字体)の字」と思われる刻印があります。

ちなみにこの時期、一番下の石は草に覆われて見られないかもしれません。

最後に下段右側辺りにある⑥。
上と下に「抜簾」が一つずつと、中段左側に逆さになった「蕨」が一つ。
下の「抜簾」も、夏場は草で隠れてしまいそうです。

 


 

最近、望遠レンズの焦点距離を長くする「エクステンダー」を入手。
ざっくり言うと、今までの2倍ズームができるようになり、
刻印をよりズームで確認できるようになりました。
撮影する楽しみは増えましたが、装備は重くなってゆくばかりです…


本丸東の堀内にある刻印石を最大ズームで撮影

今回の史跡「名古屋城」

名古屋城
場所:愛知県名古屋市中区本丸1−1

電車でのアクセス:地下鉄名城線「名古屋城駅」下車後徒歩約5分
車等でのアクセス:名古屋高速都心環状線「丸の内IC」から北方向へ約5分

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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