愛知の城を巡る 山中城
2024.04.20
2019.05.17
1562年、尾張国愛知郡中村(現在の名古屋市中村区)生誕。
羽柴秀吉に小姓として仕え、後に賤ヶ岳の戦いを始め数々の戦で武功を挙げる。
熊本城や名古屋城などの築城、土木・治水・農業などにも取り組む名将として
現在も清正公(せいしょこ)さんの呼称で親しまれている。
清正公の生誕地で、名古屋城築城の際にその余材で再建したという妙行寺。
お隣りには、主君であった豊臣秀吉生誕地と言われる常泉寺もあり。
数ある清正公の像の中で、私的に一番格好いい像だと思っております。
妙行寺
所在地:愛知県名古屋市中村区中村町木下屋敷22
名古屋城内にある、巨石を修羅(しゅら)で運ぶ者たちを鼓舞する清正公の像。
修羅とは、巨大なものをそりに載せ、丸太などの上を転がす運搬具です。
修羅という名の由来には、大石=たいしゃく=帝釈天と読み替え、
帝釈天を移動させられるのは阿修羅くらいだ!という語呂合わせ説もあるとか。
ちなみに、清正公の愛馬は帝釈栗毛という名。これも関係ありそうですね…
名古屋城
所在地:愛知県名古屋市中区三の丸1丁目2−3
名古屋城に隣接する名古屋能楽堂、その敷地内にある座像。
名古屋城を背に、凛々しいお姿で南側を見据えてます。
南側10キロほど先には、熱田区の築城資材を置いていた白鳥貯木場があり、
築城の段取りを思慮しているという構図だと思っております。
名古屋能楽堂
所在地:愛知県名古屋市中区三の丸1丁目1−1番1号
熊本城の南側、大手方面で守護神のように御座します清正公。
他の座像とポーズは同じですが、こちらの像は前立てがありません。
この長い兜、長烏帽子形兜(ながえぼしなりかぶと)といい、
両側に大きな蛇の目の家紋が描かれているのが清正公のトレードマークです。
熊本城
所在地:熊本県熊本市中央区花畑町2−15
父・清忠公の菩提寺であり、清正公逝去後に現在地へ移った本妙寺。
その先にある300段もの階段を登ると、この立像が見えてきます。
熊本城や町並みを一望できるこの場所から、見守っているという構図ですね。
本妙寺公園
所在地:熊本県熊本市西区花園4丁目
熊本城の5キロほど北側にある八景水谷(はけのみや)公園。
熊本市上水道発祥のこの地には、穏やかな顔をした清正公塑像が。
清正公が、治水・土木を指揮する姿をイメージしているとのことです。
八景水谷公園
所在地:熊本県熊本市北区八景水谷1丁目7−878−1
加藤清正の銅像ばかりだけど…名古屋城の城主、結局誰かわからない!!
まだ行っていない所では、滋賀県長浜市の豊国神社に立像、
熊本県熊本市中央区の健軍神社参道には騎馬像があるようです。
清正公唯一の騎馬像は、次回熊本に行く際は必見ですね。
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
愛知県の記事
加藤清正の記事
この記事の後によく読まれているおすすめ記事
バックナンバー記事
この記事へのコメントや情報提供をお待ちしています