名古屋城石垣の刻印を見に行こう! Vol.04 大天守 其の四
2025.03.29
2016.01.08
名古屋城は有名なお城ですが、その城主だった人と言えば誰でしょう。
城の中に加藤清正の銅像があったり、清正石という大きな石があることから「加藤清正公」が城主と思われがち。
しかし、それは間違い。
作ることを命じた人は徳川家康公で、城主は徳川家康公の9男義直なのです!
加藤清正公は天守閣の工事を担当した大名であり、城主ではありません。
あまり歴史がよくわからない方からすると、「え、誰?9男ってよくわからない」
となると思います。名古屋城は城主がわからないように、混乱させる謎があるのです。
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間違えるのは恥ずかしいことではありません。職員さんに聞いても間違える方が多いとのことでした。
まずは名古屋城内。加藤清正公のみ銅像が建っています。
清正が持ってきたと言われる大きな石「清正石」。実は持ってきたのは黒田長政らしく、本当は清正石ではないそうです。
「なぜそんなだまし討ちを!!」と、職員さんに尋ねたら「加藤清正公人気にあやかってそう命名したそうです」とのこと。事実を捻じ曲げてまで、清正人気に頼っていたとは。
名古屋城のすぐ向かいに、能楽堂という場所があります。ここにもまさかの加藤清正公の銅像が!
この石は、遠く離れた篠島から取り寄せた大きな石が展示してあります。こちらは「清正石」です。
加藤清正公といえば、卓越した築城スキルが有名な武将です。特に彼の城作りの特徴は石垣の「武者返し」と呼ばれています。
この上に行くほど急勾配になる石垣は、どんな武士も入ってこれずに落下してしまうことから、この名前がついたそうです。
この斜めに反り返った石垣を作るには、2つの工法をミックスさせています。上の方の急勾配になっているものは、「算木積み」と呼ばれ、長方形の石を左右交互に積み上げています。
下の方は「穴太積(あのうづみ)」といって、同じ大きさの石を積み上げていきます。
しかも足をかけられないほど、石をキレイに整形しているので、やすやすと敵が侵入できない作りになっています。
しかも「連結式天守閣」なので、入り口から天守閣までの距離が長く、迷路のように複雑な作りもポイント。
名古屋城で戦うことはありませんでしたが、いざという時は最強の城として活躍したであろうと言われる、最高傑作の城なのです。
住んでもよし、戦う時もバッチリという2刀流が城好きからも愛されるポイントです。
そんなわけで、天守閣が素晴らしかったのと、加藤清正が民衆から人気があったことから、名古屋城は加藤清正を猛プッシュすることになったのでしょう。
しかし、城主は義直です。尾張徳川家といえば、水戸、紀州、尾張と徳川御三家のひとつ。その祖でもある義直。かなり重要なポジションのお方です。
徳川家康もただ息子のために城を作ったのではなく、対豊臣家の最前線の城として築城したと言われています。
もし戦いが起こったら、大阪城と同等かそれ以上に手強い城となっていたでしょうね。
この名古屋城は徳川家康の最後のお城ですから、貴重なお城。
そんなわけで、築城したのは銅像の数の多さで加藤清正だと思いがちですが、徳川義直が城主。
そして徳川家康の最後の城なのです。
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北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
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