どこにいた家康 Vol.30 新府城
2023.08.05
2024.10.29
この連載は、公益財団法人日本城郭協会が定めた「日本100名城」の中で、
筆者が訪れたことがあるお城を紹介してゆくものである。
なお、城郭名は「日本100名城」の表記に合わせ記してゆく。
今回の史跡は、日本100名城の25番、山梨県甲府市の「甲府城」。
築城年や築城主については諸説あり、
1583年(天正11年)前後に、徳川家康が平岩親吉に命じ
一条小山の縄張りを行ったことが築城の始まりとも
その後甲斐に入った豊臣秀吉の家臣による築城ともいわれております。
本格的な甲府城築城は1591年(天正19)に加藤光泰が甲斐へ入った頃。
この時に本丸や天守曲輪、稲荷曲輪などの主となる部分の建設が始まり、
1593年(文禄2年)に入った浅野長政・幸長父子の時代にほぼ完成したとか。
1600年(慶長5年)以降は徳川義直が城主となり、その後しばらく徳川の城に。
1705年(宝永2年)には、元武田氏家臣の血筋で5代将軍徳川綱吉の側用人
(そばようにん、将軍と老中の取次)だった柳沢吉保が城主となり、城下町を整備。
1724年(享保9年)以降甲府城は幕府の直轄地となり、
1727年(享保12年)の大火により本丸御殿や銅門が焼失。
その後、明治維新を経て1873年(明治6年)に廃城となりました。
明治時代初期に多くの建物は解体されてしまいましたが、
1990年(平成2年)から舞鶴城公園整備事業がはじまると、
2004年(平成16年)に稲荷櫓、2013年(平成25年)に鉄門などが復元。
石垣の修復などを含め、現在も様々な整備が進められております。
・JR甲府駅の北側から攻城スタート
まずは2007年に復元された「山手御門」から見てゆきましょう
・山手御門の渡櫓内部は展示室となっており、
複製の「武田氏館跡出土馬骨」などが見られます
・山手御門から南側の「稲荷曲輪」方面を望む
・山手御門から南側へ移動し、1999年復元の「内松陰門」前へ
往時は、外側の屋形曲輪と内側の二ノ丸を隔てる門だったそうな
・内松陰門をくぐり右手にあるのが二ノ丸
現在、こちらには山梨県警の武道場である「武徳殿」が建っております
・内松陰門へ戻り、階段を登って「銅門跡」から本丸方面へ
・広々とした本丸に到着、正面に見えるのは「天守台」の石垣
左側に見えるのは「本丸櫓跡」の石垣です
・素晴らしい「天守台」石垣を下側から見上げる図
この「天守台」、天守が建てられていたかどうかは不明なのだとか
「甲斐」といえば真っ先に思い浮かぶのが武田氏ではないでしょうか。
その武田氏が織田氏に滅ぼされたのが1582年(天正10年)。
同年の本能寺の変後、甲斐を領していた織田信長家臣の河尻秀隆が亡くなると、
空白地帯となった甲斐を巡って徳川氏と北条氏による争奪戦が始まります。
この争い、いわゆる「天正壬午の乱」を制したのは徳川家康。
甲斐の地を手に入れた徳川家康は、翌年に甲府城築城を計画したようで、
平岩親吉に甲府城築城の準備をするよう命じた文書が残っているのだとか。
徳川家康による築城説も1583年(天正11年)説と1585年(天正13年)説が
あるようですが、どちらにしても甲府城築城を考えていたのは確かなようです。
しかし、計画はしたとみられるものの、動員を命じた資料は見つかっておらず、
築城当時の物とみられる石垣も、徳川家康が領有した時期のものではありません。
その後、徳川家康は1590年(天正18年)に関東へ移封となったため、
真相は、企画したものの築城には至らなかった…といったところでしょうか。
徳川家康が去った後、豊臣秀吉は甥である羽柴秀勝にこの地を任せ、
後に豊臣家臣の加藤光泰→浅野父子が入り徳川家康を警戒するため甲府城を築城。
関ヶ原の戦いで勝利した後、再びこの地を領した徳川家康は
西側を警戒するため甲府城を重要視したといわれております。
・「天守台」を登り、頂上から南側の富士山方面を見渡す
訪城時(2018年5月)はうっすらとしか見えませんでした
・こちらは北側方面、写真中央に見えるのは「稲荷櫓」です
・本丸南側へ移動し、2013年に復元された「鉄門」の方へ
門の左右に残る石垣と、下から見上げる姿はまさに圧巻!
・鉄門から「中の門跡」→「坂下門跡」と進み、鍛冶曲輪方面に移動
・道中左手にそびえ立つのは、「天守曲輪」の高石垣
・こちらが「鍛冶曲輪跡」、北側には珍しい「石切場」もあります
・鍛冶曲輪跡を後にし、数寄屋曲輪跡から稲荷曲輪跡へ移動
稲荷曲輪跡東側には、新旧の石垣が見られる「二重の石垣」が
・最後は、稲荷曲輪跡にある2004年復元の「稲荷櫓」へ
中に入れば、甲府城の模型や鯱瓦などが見られます
甲府駅の南北にある「武田信虎公之像」と「武田信玄公之像」や、
甲府城の北側にある「武田神社(武田氏館跡)」や「要害山城」など
付近には武田氏ゆかりの史跡が満載、これらもあわせて巡りたいところです。
甲府駅南口の「武田信玄公之像」と北口の「武田信虎公之像」
舞鶴城公園
場所:山梨県甲府市丸の内1丁目5−4
電車でのアクセス:JR「甲府駅」下車後、南方向へ徒歩約3分
車等でのアクセス:中央自動車道「甲府昭和IC」から北東方向へ約15分
地域カテゴリ
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
山梨県の記事
この記事の後によく読まれているおすすめ記事
バックナンバー記事
この記事へのコメントや情報提供をお待ちしています