武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2022年7月16日記事のため内容が古い可能性があります。

足跡を巡る 武田信玄の巻:前編

2022.07.16

「足跡を巡る」とは

戦国武将の生涯を、写真とともに辿っていくシリーズ。
物事が起こった年代、諸説ある動機や人間関係などについては
深く考えずにざっくりとふれていく連載である。

足跡を巡る 武田信玄の巻:後編
「川中島の戦い」から最期まではこちらから

「武田信玄」の誕生

1521年、躑躅ヶ崎館の詰城である要害山城で生誕。幼名は太郎。
父は武田信虎、母は大井夫人。生まれたのは積翠寺という説もあります。


こちらは、現在武田神社となっている躑躅ヶ崎館跡。


要害山城跡
所在地:山梨県甲府市上積翠寺町

武田神社
所在地:山梨県甲府市古府中町2611

元服し家督相続

1536年に元服した晴信(武田信玄)は、1541年に父・信虎を追放し家督を相続。
翌年には諏訪を平定、続いて高遠合戦で勝利し伊那も平定します。


しかし、1548年の上田原の戦いと1550年の砥石城攻めでは村上義清に連敗。
写真は最初に敗北を喫することとなった上田原古戦場跡です。


真田幸隆の活躍で戦局を覆すものの、村上義清は長尾景虎のもとへ逃亡。
この後甲相駿三国同盟の成立を経て景虎、後の上杉謙信との戦いへと続きます。

高遠城跡
所在地:長野県伊那市高遠町東高遠

上田原古戦場跡
所在地:長野県上田市上田原378

おまけ

其の一は、上田原の戦いで亡くなった板垣信方を祀った板垣神社。
愛煙家だったという板垣信方のお墓と伝わるこちらには、タバコが供えられるそうな。


其の二は、砥石城攻めで大活躍した真田幸隆のお墓がある長谷寺。
戦国の世において異彩を放つ真田家の躍進は、この人から始まりました。


板垣神社
所在地:長野県上田市下之条911−3

長谷寺
所在地:長野県上田市長4646

 

「足跡を巡る」シリーズはこちら

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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