武将愛 SAMURAI HEART

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足跡を巡る 武田信玄の巻:後編

2022.08.14

「足跡を巡る」とは

戦国武将の生涯を、写真とともに辿っていくシリーズ。
物事が起こった年代、諸説ある動機や人間関係などについては
深く考えずにざっくりとふれていく連載である。

足跡を巡る 武田信玄の巻:前編
武田信玄の誕生から元服家督を相続まではこちらから

 

武田信玄と上杉謙信の5回にわたる「川中島の戦い」

1553年には、数次にわたり12年続くことになる上杉謙信との戦いが開始。
様子見や小競り合いを繰り返した後、武田信玄は海津城を築き警戒を強めます。


そして、1561年に起こったのが最大の激戦となる第四次川中島の戦い。
様々な伝説が残るこの戦いは、武田家と上杉家の両家に大きな損害が出る結果に。


海津城跡(松代城跡)
所在地:長野県長野市松代町松代18-2

川中島古戦場跡
所在地:長野県長野市小島田町1362

武田信玄の西上野への侵攻

川中島の戦いと同じ時期に行われていたのが、西上野あたりの攻略。
長野氏の居城・箕輪城を攻めますが、堅い守りに何度も跳ね返されます。


武田信玄は崩れていた石倉城を再建し、1566年にようやく箕輪城を攻め落としました。


しかし、翌年には今川氏による「塩止め」が起こるなどし甲相駿三国同盟が破綻。
謀反の疑いで嫡男・武田義信を廃嫡するなど、状況は慌ただしく変化してゆきます。

箕輪城跡
所在地:群馬県高崎市箕郷町東明屋

石倉城跡
所在地:群馬県前橋市石倉町5丁目7−12

武田信玄の駿河侵攻から最期まで

徳川家康と共同で今川領の駿河へ侵攻した後、1571年に北条氏とあらためて同盟。
同年に遠江・三河へ攻め入り小山城などを落とすも、武田信玄が喀血し撤退することに。


1572年、三方ヶ原の戦いで徳川軍を破り、続いて野田城を落とすも武田信玄がまたもや喀血。
西上を諦め甲斐に撤退しようとしますが、道半ばで武田信玄は53年の生涯を閉じます。


小山城跡
所在地:静岡県榛原郡吉田町片岡2519

野田城跡
所在地:愛知県新城市豊島本城

おまけ

武田氏館跡から南へ3kmほどの距離にあるのが甲府城。


武田氏滅亡後の築城ですので甲府城と武田信玄との関係はあまりありませんが、
山手御門に展示されている、武田氏館跡で出土した馬骨は要チェックです。


甲府駅南口におわします、凛々しいお姿の武田信玄坐像もお忘れなく。

甲府城跡
所在地:山梨県甲府市丸の内1丁目5−4

武田信玄公之像(JR甲府駅南口)
所在地:山梨県甲府市丸の内1丁目1

 

武将の生涯を写真で辿る!「足跡を巡る」その他のシリーズはこちらをクリック

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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