姫たちの武将愛vol.12~椿とともに今も~お田鶴の方~
2023.10.17
2023.10.10
引間城といえば、おんな城主、お田鶴をイメージする方が多いですよね。
その引間城址には、現在「元城町東照宮」が勧請されています。
「東照宮」といえば、東照大権現、徳川家康を祀る神社として有名ですが、廃社や合祀が相次いだことで、現存するのはやく130社となっているそうです。
それでも、ずいぶんたくさんありますね。元城町東照宮は、そんな約130社の中の1社です。
建立は、思いのほか最近で、1887年(明治20年)頃から管理されるようになったものだそうです。
元幕臣であり、浜松城代でもあった井上延陵が、徳川家康が居城とした浜松城の跡に、東照宮を建てようと考えたことが発端になったということ。
引間城は徳川家康の本格的な戦いが始まる場所ともいえるので、浜松城の一部である引間城址に東照宮が勧請されたのは、とても納得のいくものだと思います。
さて、現在は元城町東照宮がある引間城は、どのあたりにあったのでしょうか。
こちらの画像をご覧ください。
これは浜松城にある案内図の一部を切り抜いて作成した図です。
〇で囲ってある部分が「古城」とされ、引間城があった場所と案内図に記されています。
この部分ですね。
引間城は、徳川家康が岡崎城の次に移った城。
徳川家康は、武田信玄の侵攻を押さえるために、浜松の地に移りました。
この一帯は、当時引間(曳馬)と呼ばれていたので、城名は引間城でしたが、徳川家康は松が並んでいる浜の城「浜松城」と改名しました。
引間城には、少年時代の豊臣秀吉が、仕えていた松下加兵衛とともに引間城に訪れたそうです。
徳川家康、豊臣秀吉、ともにその後大活躍した人物にちなんで、出世のご利益があるとされているようです。
元城町東照宮は、元は引間城址。
そして引間城は徳川家康によって「浜松城」に改名され拡大された、ということなのです。
静岡県 浜松市 中区元城町111-2
【アクセス】
JR浜松駅より
遠鉄バス市役所行き等 浜松城公園入口下車徒歩3分
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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