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ほんとはすごい「引間城」|元城東照宮や浜松城との関係とは

2023.10.10

「引間城」と元城東照宮、浜松城の関係

引間城といえば、おんな城主、お田鶴をイメージする方が多いですよね。
その引間城址には、現在「元城町東照宮」が勧請されています。

大きな歴史を受け継いだ「元城町東照宮」

 

東照大権現を祀る「引間城」

「東照宮」といえば、東照大権現、徳川家康を祀る神社として有名ですが、廃社や合祀が相次いだことで、現存するのはやく130社となっているそうです。

それでも、ずいぶんたくさんありますね。元城町東照宮は、そんな約130社の中の1社です。

建立は、思いのほか最近で、1887年(明治20年)頃から管理されるようになったものだそうです。
元幕臣であり、浜松城代でもあった井上延陵が、徳川家康が居城とした浜松城の跡に、東照宮を建てようと考えたことが発端になったということ。
引間城は徳川家康の本格的な戦いが始まる場所ともいえるので、浜松城の一部である引間城址に東照宮が勧請されたのは、とても納得のいくものだと思います。

 

「引間城」はどこに?

さて、現在は元城町東照宮がある引間城は、どのあたりにあったのでしょうか。

こちらの画像をご覧ください。

これは浜松城にある案内図の一部を切り抜いて作成した図です。

〇で囲ってある部分が「古城」とされ、引間城があった場所と案内図に記されています。

この部分ですね。

 

 

「引間城」と徳川家康、そして浜松城

引間城は、徳川家康が岡崎城の次に移った城。
徳川家康は、武田信玄の侵攻を押さえるために、浜松の地に移りました。
この一帯は、当時引間(曳馬)と呼ばれていたので、城名は引間城でしたが、徳川家康は松が並んでいる浜の城「浜松城」と改名しました。

 

「引間城」まとめ

 

引間城には、少年時代の豊臣秀吉が、仕えていた松下加兵衛とともに引間城に訪れたそうです。
徳川家康、豊臣秀吉、ともにその後大活躍した人物にちなんで、出世のご利益があるとされているようです。
元城町東照宮は、元は引間城址。
そして引間城は徳川家康によって「浜松城」に改名され拡大された、ということなのです。

お田鶴の方が籠城した「引馬城」

お田鶴の方を祀った椿姫観音堂の記事はこちら

 

 

今回の史跡「元城町東照宮(引間城址)」

静岡県 浜松市 中区元城町111-2

 

【アクセス】

JR浜松駅より

遠鉄バス市役所行き等 浜松城公園入口下車徒歩3分

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rico

教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。

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