武将愛 SAMURAI HEART

名古屋城石垣の刻印を見に行こう! Vol.03 大天守 其の三

2025.03.17

名古屋城石垣の刻印を見に行こう!シリーズについて

一、なんらかのマークが付けられた石を「刻印」や「刻紋」、
 もしくは人物の名が入っているものを「刻銘」と呼びますが、
 この連載では主に「刻印」という呼び方で統一します。

一、名古屋城には膨大な数の刻印があり、
 確認されているだけで2000以上もあるのだとか。
 劣化により判別不明なものも多いため、本連載では
 目視ではっきりわかるものを中心にご紹介してゆきます。

一、タブレットにて刻印を白や赤の線でなぞった加工画像もありますが、
 フリーハンドゆえのゆがみや想像で線を補ったものもあるため、
 あくまでイメージとしてお楽しみください。

天守台東壁 其の二

前回に引き続き、大天守台の東壁の刻印探し。
通路を通って不明門のあるエリアから見学しましょう。

大天守東壁の刻印

通路へ行く前に、望遠で写真の赤枠あたりをチェック。

不明門の桝形からは見づらい位置に、
くっきりとした「軍配団扇」と
「わた」という文字に加え「中輪にくつわ」を刻んだ石が。


「わた」は橋台にあったものと同じく、
加藤清正家臣である「和田」の名だといわれております。


移動し、今回のメインである大天守台東側の中側へ。
ここは上と下に刻印がわかれており、
まずは上側から見てゆきましょう。

大天守東壁中側の刻印①~④

上側にある主な刻印はこちら。

まずは写真左の①から。
「明かり取り窓」の真下には、車輪を半分にした「生駒車」、
二つ下に「丸に五の崩し字」のようなもの、右に不完全な「矢筈」があります。

続いて②、こちらには右から「矢筈」、「三」、不完全な「丸に丁」とあり、
一番左には「米」という文字が刻まれた石が。
「分限帳」に米村という家臣の名があり、
この人物の頭文字ではないかとみられているのだとか。

③には肉眼でわかる「鳥居」が二つある他、
右側にも欠けている「丸」の刻印と「違い輪」があり。

④には「蕨(わらび)」と四角の「釘抜き」があります。

大天守東壁中側の刻印⑤~⑦

続いて下側、目線と同じもしくは下に位置するあたりをチェック。

⑤は、かつてのエレベーター入口あたり。下から、
・大きな石に小さな「丸に十」、
・和田の刻印と思われる「中輪にくつわ」
・南条の刻印である「木槌」
比較的わかりやすい以上の3つがあります。

隣の⑥、こちらには「鳥居」「丸に六星」「抜き簾」。
「鳥居」はともかく、他二つの刻印はくっきり。

さらに隣の⑦はかなり見づらく、難易度高めの箇所。
刻印見学に慣れてくるとこのようなものも見えてきますが、
はつりや割れたところなども怪しく見えてくるのが悩みどころ

右には家臣の小代下総守のものであることを示す
「小代」と「亀甲に四つ目」刻印が入った石、
左には同じく家臣である小野の「軍配団扇」が刻まれております。


陽が当たっていないとさらに難易度が上がり、
私も何回か見た後、ようやくこの刻印に気付きました。

大天守東壁中側の刻印⑧~⑨

ここまで、大天守台に近い位置から見てきましたが、
お客様通路の近くまで移動し、少し遠目から見上げましょう。

個人的に、今回ご紹介する範囲内で一番好きな刻印があるのが⑧。
加藤清正家臣である南条元宅(もといえ)の名入りである
「南条」の文字と「木槌」刻印がある石が良く見えますね。

南条元宅が用意した石であったことをあらわす「南条」、
もしくは「南条」と「木槌」がセットになった刻印は多く、
見慣れてくると結構見つけることができます。
他にも隣接して「木槌」のみ、その下には「三」の刻印も。

⑨の位置になると、背伸びして見えるかどうか。

左上の「矢筈」、隣の「丸に一つ鱗」までは見られても、
その下の不完全な「矢筈」、今回一番初めに望遠でご紹介した
「軍配団扇」あたりは下からだと厳しめです。

不明門桝形内

ここからは、大天守台から少し寄り道。

かつてのエレベーター入口付近にあるこの石たちにも刻印があり、
立てられた中央の石上部には、見事な矢穴と「矢筈」刻印が。

下にある石にも写真のような刻印が入っておりますが、
これらは加藤清正の家臣たちが用いた刻印ではないようです。

不明門の手前右手に広がる桝形内石垣にも刻印はちらほら。

特に赤く塗ったあたりにあるのが、くっきりとした「井桁」三つ、
右下にはおそらく「二つ串団子」と思われる刻印が。

ここの普請を担当したのは福島正則であり、
福島正則が石を切り出したといわれる愛知県蒲郡市西浦にも
「井桁」刻印がある矢穴石が残っております。

 


 
今まで晴れた日を狙って刻印探しに行っておりましたが、
先日雨天に行ってみたところ、濡れた石の方が見やすい刻印もある
ということに遅ればせながら気がつきました。
刻印の彫りの深さによって陽の当たる角度、
石質により晴れか雨かで見やすいか否かが変わるので、
まだまだ通って色々と検証せねばなりません。

次回は、大天守台東壁の向かって右側あたりをご紹介。
大天守台東壁エリアがようやく終了…するはず。


愛知県蒲郡市西浦の石丁場にある、「井桁」刻印入り矢穴石

今回の史跡「名古屋城」

名古屋城
場所:愛知県名古屋市中区本丸1−1

電車でのアクセス:地下鉄名城線「名古屋城駅」下車後徒歩約5分
車等でのアクセス:名古屋高速都心環状線「丸の内IC」から北方向へ約5分

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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