武将愛 SAMURAI HEART

名古屋城石垣の刻印を見に行こう! Vol.08 大天守 其の八(西壁編)

2025.06.15

名古屋城石垣の刻印を見に行こう!シリーズについて

一、なんらかのマークが付けられた石を「刻印」や「刻紋」、
 もしくは人物の名が入っているものを「刻銘」と呼びますが、
 この連載では主に「刻印」という呼び方で統一します。

一、名古屋城には膨大な数の刻印があり、
 確認されているだけで2000以上もあるのだとか。
 劣化により判別不明なものも多いため、本連載では
 目視ではっきりわかるものを中心にご紹介してゆきます。

(名古屋城の刻印についての詳しい概要はこちらの記事もご覧ください)

一、タブレットにて刻印を白や赤の線でなぞった加工画像もありますが、
 フリーハンドゆえのゆがみや想像で線を補ったものもあるため、
 あくまでイメージとしてお楽しみください。

同シリーズ記事はこちら▼
「名古屋城石垣刻印シリーズ」一覧はこちらから

 

名古屋城石垣の刻印を見に行こう! Vol.08 大天守 其の⑧(西壁編)

今回から大天守台の西壁、まずは向かって左側から見てゆきましょう。
北西隅あたりの展望スペースからの眺めがこちら。

刻印紹介に入る前に、最近テレビ番組などでも取り上げられる
「幻の西小天守」について少々触れてゆきたいと思います。

天守台西壁には、何やら石で埋めた箇所(写真黄色の枠あたり)があり、
築城当初は大天守西側にもう一つ小天守を建てる計画があったのだとか。
大工頭として名古屋城建築計画を担ったのが中井正清、
その中井家に残る「なこや御城惣指図」という図をみると、
大天守の西側にははっきりと小天守が描かれております。
空堀の下には礎石らしきものも発見されているようですが、
地盤の問題があったのか、建築計画は早い段階で中止に。


(↑名古屋城天守建築の推移イメージ)

紆余曲折を経て、天守まわりは現在残るスタイルとなりましたが、
天守建築を前に石垣は既に完成していたため穴が残り、
設計変更があった後に埋められたようです。

大天守西壁左側の刻印①②③

西壁左側の写真と、おおまかな刻印石の分布がこちら。

まずは、最上部に近い①から見てゆきましょう。

左上に不完全な「木槌」、二段下には「曲尺」に線を足したような刻印。
右上に「矢筈」、その下には「生駒車」があります。

続いて右側の②へ。
右上に二つと左下、さらには真ん中に不完全ながら「丸に六星」、
左上には欠けた「地紙」、二段下に「矢筈」、真ん中右に「変わり立鼓」が。

①の下、隅石横にある③の範囲。
左上の不完全なものと、完全に近い南条の「木槌」が一つずつ。
さらに、刻印ではありませんが赤丸の部分に「丸杭」があります。

大天守西壁左側の刻印④⑤⑥

お次は右側、冒頭に触れた埋められた出入口付近。

④には、真ん中上部に大きめの「結び雁金」が。

ちなみに、前回と今回で天守台北西隅部あたりを見てきておりますが、
「宝暦の大修理」時には二尺(60㎝)ほど沈下していたのだとか。
さらに、『國秘録 御天守御修復』によれば、
北西隅石と隅脇石を小牧の岩崎山から計35、
他にも築石を三河から925ほど新たに切り出して用意したようです。

続いて、④の下にある⑤へ。
埋め立て部の下真ん中あたりには目立つ「軍配団扇」、
その右隣に「団扇」が並び、さらに下には短めの「蕨」が。
銅製の雨樋にも丸い刻印がありますが、中ははっきりわかりません。

⑤左隣の⑥、こちらには6個の刻印石。
真ん中左から「丸に十」、右隣には南条の「木槌」、
下に「蕨」、右隣に「丸に十」、新美の「鳥居」と並んでおります。

真ん中上には「キた」と読める文字と「井桁」+「弦巻」の刻印、
上下逆さにするとこんな感じです。

大天守西壁左側の刻印⑦⑧

ここから中段ゾーン。下に行くほど刻印が減ってゆきます。

⑦にあるのは、左上から横に「鳥居」、「軍配団扇」、
小さい石に不完全な「丸に一つ鱗」がある他、
白い管と重なる左下の石に「生駒車」の4つ。

右隣の⑧の範囲を見ると、左に「団扇」、
右に小さな「輪違」と丸の刻印を持つ石があります。

大天守西壁左側の刻印⑨⑩

中段やや下の左側はこんな感じ。

隅石に近い⑨の上部には、左から「丸に六星」、「結び雁金」、「小代」、
左下に「丸に一つ鱗」、右下にだいぶ欠けた「違い角」の石が。
不完全な「違い角」の右には「丸に山形」のようなものもあるため、
おそらく削られた部分に「山田いこま」と「雁金」もあったのでしょう。

⑩には左から「生駒車」、下に「丸に山形」、右隣に「丸に十」、
右上に欠けた部分のある「南条」の字と「木槌」の石があります。

大天守西壁左側の刻印⑪

最後はかなり下にあるこちらの石。

⑪には、「山田いこま」と「違い角」+「雁金」の刻印が。

日陰の時や曇りの日には刻印がわかりづらいため、
陽が当たっている+逆さにしたものと、雨の日のものもご紹介します。

 


 

今回、北西隅あたりから撮影した写真をご紹介しましたが、
この場所は御深井丸側の石垣調査と整備のため、
現在フェンスが建てられており入ることができません。
工事期間中、「埋め立て跡」と刻印は西側から見学しましょう。


2025年6月現在、フェンスが建っている天守北側

今回の史跡「名古屋城」

名古屋城
場所:愛知県名古屋市中区本丸1−1

電車でのアクセス:地下鉄名城線「名古屋城駅」下車後徒歩約5分
車等でのアクセス:名古屋高速都心環状線「丸の内IC」から北方向へ約5分

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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