武将愛 SAMURAI HEART

愛知の城を巡る 山中城

2024.04.20

三河地方最大級の規模を誇る山城「山中城」

今回の史跡は、戦国期山城の遺構が良好に残る愛知県岡崎市の「山中城」。
標高約195メートルの医王山(岩尾山、城山とも)山上に位置し、
築城したのは西郷氏とも岡崎松平氏とも伝わっているようです。

1524年(大永4年)、岡崎松平氏の持城だった山中城を、
松平清康(安城松平氏、徳川家康の祖父)が急襲。
攻城を命じられた家臣の大久保忠茂は、一夜にして落城させたといわれております。

1535年(天文4年)の「守山崩れ」で松平清康が急逝した後、
山中城は今川氏の手にわたり、西三河攻略の拠点に。
織田氏との争いとなった「小豆坂の戦い」では今川方の重要拠点となり、
「医王山」という記述で多くの史料に記されているそうです。

1560年(永禄3年)の「桶狭間の戦い」で今川義元が討たれると、
これを好機と徳川家康(当時は松平元康)が攻め込み山中城を奪取。
この時期に対織田氏、対今川氏を見据え改修が施されたとされていますが、
後に織田氏とは同盟、今川氏は滅亡したことから軍事的役割は薄れ、
1590年(天正18年)、徳川家康の関東移封とともに廃城となりました。

 

「山中城」の見学ルート①

・駐車場にある縄張り図を確認し、東側の入口である「舞木口」の方へ

・こちらが「舞木口」の入口、きちんと開け閉めしてから進みましょう

・登城路は整備されていますので、すいすいと進んでいけます

・この写真を左に行けば主郭方面へ、右に行けば山中八幡宮方面へ

・遊歩道に沿って進んでいくと見られる、東側の「曲輪」

・「堀切」や「馬出」も良好に残っております

・東曲輪を通過しさらに登ると、「本丸」が見えてきました

・入口である「本丸虎口」から中へ入ってゆきましょう

 

まさに波乱万丈、松平広忠の生涯

1535年(天文4年)に起こった「守山崩れ」で松平清康が没すると、
跡を継いだのは、まだ幼少だった松平清康の子である松平広忠。

この混乱に乗じて織田信秀が三河へ侵攻を開始、
さらには松平清康と対立していた桜井松平氏・松平信定(松平清康の叔父)が
岡崎城を占拠する事態となり、松平広忠は伊勢国へ逃れることに。
この時期の動向については年代、思惑など定かでない点が多いのですが、
松平広忠は伊勢国で元服した後に今川氏の庇護をうけ、
1537年(天文16年)頃に岡崎城へ帰還したようです。

岡崎城主へ返り咲いたものの、松平広忠はうかうかしておれぬ立場。
三河の地をうかがう織田信秀はさらなる攻勢を仕掛け、
安祥城を攻略した後、矢作川を渡り小豆坂まで侵攻を開始します。
織田信秀と同じく西三河をうかがう今川義元もこれを防ぐべく出兵、
この織田氏と今川氏が1542年(天文11年)と1548年(天文17年)の
二度にわたり激突したのが、世に言う「小豆坂の戦い」です。

小豆坂の戦い前後の出来事をざっくりまとめると以下の通り。
1541年(天文10年) 松平広忠と於大の方婚姻
1542年(天文11年) 第一次小豆坂の戦い(織田方が勝利)
1542年(天文11年) 竹千代、後の徳川家康誕生
1544年(天文13年) 水野信元が松平氏から織田氏へ鞍替え、於大の方離縁
1545年(天文14年) 竹千代が織田氏の人質に
1548年(天文17年) 第二次小豆坂の戦い(今川方が勝利)
1549年(天文18年) 人質交換で竹千代が今川氏の人質に
1549年(天文18年) 松平広忠が亡くなる、享年24

ちなみに、医王山と呼ばれた山中城が史料で登場するのは1547年(天文16年)頃、
この時期に今川義元が天野氏に送った『今川義元書状』には、
「防御拠点である医王山での普請、皆の働きで早くできたので喜ばしい」
「近々自身も出馬する」というような記述があります。

松平広忠が亡くなった原因については、
家臣による襲撃説や病気説など諸説あり定かではありません。
いずれにせよ、幼くして家督を継いだ後、親族から岡崎から追い出され、
岡崎に戻ってからも今川氏と織田氏の間に挟まれるという過酷な境遇。
戦乱という時代の波に翻弄された人物は少なからずいますが、
松平広忠という人も間違いなくその中の一人と言えるでしょう。

 

「山中城」の見学ルート②

・「本丸」へ到着、まずは今川氏が押さえていた東側の景色を見渡す

・本丸にある「城跡碑」と「案内板」を見ながら一息いれましょう

・続いて西へ進み、本丸に隣接する「二の曲輪」へ
 写真2枚目の虎口から下り、物見曲輪方面へ向かいます

・この「帯曲輪」を北方面へ進み、北側に多く残る「竪堀」もチェック

・写真の「堀切」を通過すれば、物見曲輪へ到着

・「物見曲輪」からは、一畑山薬師寺などがある北側が見渡せます

・本丸方面へ戻りつつ、西側の「堀切」も見てゆきましょう

・最後に、もう少し西側へ降りて見事な「堀切」を見学してから戻ります

 

「山中城」とあわせて行きたいおススメの史跡

徳川家康ゆかりの鳩ヶ窟がある「山中八幡宮」

織田氏と今川氏が争った「小豆坂古戦場」

今回の史跡「山中城」

山中城跡
場所:愛知県岡崎市羽栗町長寄

電車でのアクセス:名鉄「名電山中駅」から登城口まで徒歩約20分
車等でのアクセス:東名高速道路「岡崎IC」から南東方向へ約20分

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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