武将愛 SAMURAI HEART

どこにいた家康 Vol.48 久能山東照宮

2023.12.15

この連載は、2023年の大河ドラマ『どうする家康』で舞台となった地を
後追い、あるいは先読みしながらご紹介していくものである。
なお、タイトルにちなんで、記載は年齢問わず「家康」で統一する。

徳川家康が自ら埋葬先として選んだ「久能山東照宮」

今回の史跡は、徳川家康が鷹狩りの際に宿泊していた「久能山東照宮」です。

推古天皇の時代、久能忠仁が補陀落山久能寺と称し建立。
久能山の名称もここから起こったといわれております。
奈良時代の僧・行基をはじめ、多くの名僧が相次いで来往し隆盛をきわめ、
源頼朝が所領を寄進、源義経も薄墨と呼ばれる笛を奉納したと伝わっているそうです。

1568年には、駿河侵攻により武田信玄が今川氏真から駿府を攻め取ると、
久能寺を近くの北矢部に移し、山上に久能城を築城。

1607年に徳川家康が駿府城へ移る際、榊原康政の兄・榊原清政が久能城の城代に、
以降この榊原家が代々久能山を任されることとなります。
現地案内板によると、徳川家康は大御所として駿府城に在城当時、
「久能城は駿府城の本丸と思う」と話し、久能城を重要視したとのこと。

その後1616年徳川家康が亡くなると、遺命により遺骸を久能山に埋葬、
翌年には久能城を廃止し東照宮(当時は東照社)が創建されました。

 

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「久能山東照宮」の見学ルート①

・久能山麓にある「石鳥居」から参拝への道のりがスタート
健脚な方以外は、日本平ロープウェーから行くことをおススメします

・石鳥居の先、右手には南光坊天海が開いたという「徳恩院」が

・梅林の看板があるあたりから、本格的な石段登りがはじまります…

・17ものカーブを経て、ようやく「一ノ門」に到着
「一ノ門」あたりから見渡す駿河湾は、まさに絶景!

・石段はまだ続き、山の下から御社殿まで1159段あるとか
この段数は、「いちいちごくろうさん」という語呂合わせでも知られております

・こちらは、旧宝物館の側にある「勘助井戸」
武田信玄に仕えた山本勘助が掘った、という伝説があるそうな

・社務所で受付を済ませ、先に進むと「楼門」が目前に
1617年に建てられた荘厳な門で、1955年に重要文化財に指定されております

・「楼門」をくぐり、こちら側からも一枚
こちらには徳川家康の手形写しがありますので、自分の手と比べてみましょう

 

「久能山東照宮」に葬られた徳川家康の遺言

側近であった金地院崇伝の日記である『本光国師日記』によれば、
徳川家康は病床に本多正純・金地院崇伝・南光坊天海を呼び、
「遺体を久能山へ納め、葬儀は増上寺にて行い、大樹寺に位牌を立て、
一周忌を過ぎたら日光山に小さい堂を建てて勧請(かんじょう)せよ」
このように遺言をしたといわれております。

他にも、辞世の句として二首を詠んだといわれており、
一句目が「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」。
「二度寝できる平和な世をつくり、晴れやかな気持ちだ」というような意味で、
やり遂げた満足感の中で余生を過ごした様が目に浮かびます。

二句目が「先にゆき 跡に残るも 同じ事 つれて行ぬを 別とぞ思ふ」。
こちらは「順番であの世へ行くのだから、道連れはいらない」というような意味で、
当時は「追い腹(=主君の死後、後を追い家臣などが切腹すること)」が
忠義だとされていましたが、これをしないようにくぎを刺した内容。
優秀な家臣たちが追い腹をせず、徳川の世を支えてほしいという願いを込めたものでしょう。

ちなみに、「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず」
から始まる「東照公御遺訓」に関しては、現在では後世のものだといわれております。
水戸黄門として親しまれている徳川光圀の遺訓をもとにつくられたようですが、
これほど波乱万丈の一生を過ごした徳川家康に似合う言葉は他にありませんね。

 

「久能山東照宮」の見学ルート②

・楼門の先にある石段を登り、鳥居の先まで進みましょう
鳥居をくぐった右手には「鼓楼」、その左隣には「神楽殿」があります

・きらびやかな「唐門」を見上げた後、神楽殿の横を通り御社殿のある方面へ

・御社殿に至る最後の石段を登ると、目前にあるのがこの「日枝神社」

・日枝神社から順路をさらに進み、いよいよ国宝の「御社殿」へ
1617年創建、江戸時代初期を代表するともいわれる貴重な建造物です

・こちらは御社殿側から見た「唐門」、こちら側も豪華絢爛

・御社殿を右手に見ながら進み、この「廟門」から神廟の方へ行きましょう

・廟門から新廟へ至る、「廟所参道」と呼ばれる道
左右の石灯籠は、徳川家康に仕えた武将たちが奉納したものだそうです

・廟所参道を通り、徳川家康の遺骸を埋葬し奉った「神廟」へ
この「神廟」は、徳川家康の遺命により西向きに建てられております

 

次回どうなる、『どうする家康』

大坂冬の陣が終わり、いよいよ舞台は大坂夏の陣へ。
徳川家康からの手紙を読み心が揺れ動くも、
豊臣秀頼と千姫の覚悟を目にし、自らも覚悟を決めた茶々。
小牧長久手の戦い後、石川数正が出奔しなければ
徳川家もこのような感じになったのでは…と想像させるシーンでした。

大坂夏の陣をご紹介したカテゴリ一覧はこちら>

次回は最終回、「神の君へ」。
前半は真田信繁の突撃、豊臣秀頼と茶々の最期、
後半は回想を挟みながら徳川家康の最期を描く、といった感じでしょうか。

その他、予告には配役不明の南光坊天海という名も見え、
はたして誰が演じるのか、という点も注目ですね。

どのようなラストとなるのか予想も妄想もふくらみますが、あとは放送を待つのみ。
松本潤さん演じる徳川家康の決断を最後まで見届けましょう。


大樹寺に建てられた「家康公墓碑」

今回の史跡「久能山東照宮」

久能山東照宮
場所:静岡県静岡市駿河区根古屋390

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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