続100名城を巡る「滝山城」
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2019.01.26
徳川家康と言えば「鷹狩り」。
徳川家康の鷹狩好きは有名ですよね。
その徳川家康は、神奈川県にも鷹狩りに出向いていていたと言われています。
徳川家康は、その際に宿泊する施設として、神奈川県にも4つの御殿を築きました。
ひとつは中原御殿、小杉御殿、藤沢御殿、そして神奈川御殿です。
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神奈川御殿の遺構は残念ながら現存しません。
横浜市神奈川区の「神奈川」という地名にその痕跡がうかがえる程度・・・。
けれど古地図でみると、どうやら京浜急行仲木戸駅付近から神奈川駅に向かう「神奈川宿」の街道沿い辺りだったようです。
その神奈川宿は1603年に宿場として正式に成立しました。
神奈川御殿は徳川家康や鷹狩りに出かける際に立ち寄る施設として、また世子などが旅行や外出の際に宿泊する場として1610年に設けたという説が有力のようですが、時期は明確ではないということです。
なぞが多い御殿なのです。
なぜ謎が多いか。
それは、横浜が1945年5月29日の昼間、横浜市の中心に行った無差別爆撃、横浜大空襲により、すべてが焼失してしまったためなのです。
このとき、横浜では約1万人近くの方が犠牲になりました。
名古屋城もそうですが、焼け落ちてしまった遺構が今も残っていたらよかったのに・・と残念でなりません。
さて。
この神奈川御殿を造営するにあたって、徳川家は成仏寺の敷地やお百姓さんたちから耕地を召し上げて建てたということで、御殿の周囲には空堀と土手が張り巡らされていたということですが、やはり、その痕跡さえもまったくありません。
御殿を築くために土地を提供したといわれる成仏寺ですが、このようにとても爽やかなお寺で、なんとも清々しい空気感を漂わせていました。
成仏寺は、正覚山法雨院といって浄土宗のお寺です。
徳川家康の時代に神奈川御殿用地として、お寺の敷地を召し上げられてからは、普通のお寺としてのお務めを果たしていたようですが、1854年に横浜で行われた日米和親条約交渉のときの全権委員であった林大学頭のとなったのです。
成仏寺は、このときから急に日本が開国するための重要地となったわけです。
しかも、開港して3か月後には、アメリカ人宣教師であり、医師でもあったジェームス・カーティス・ヘボン氏も滞在したということです。
ちなみにこのジェームス・カーティス・ヘボン氏は、ヘボン式ローマ字の創始者です。
幕末には、外国人宣教師たちの宿舎となったため、成仏寺からは讃美歌が聴こえてくることもあったそうですよ。
徳川家康が「寺から讃美歌」を知ったら、腰を抜かすかもしれません。
神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町
JR京浜東北線 東神奈川駅 下車5分
京浜急行 仲木戸駅から徒歩6分
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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