武将愛 SAMURAI HEART

続100名城を巡る「滝山城」

2024.11.28

この連載は、公益財団法人日本城郭協会が定めた「続日本100名城」の中で、
筆者が訪れたことがあるお城を紹介してゆくものである。
なお、城郭名は「続日本100名城」の表記に合わせ記してゆく。

北条氏照が完成させた関東随一の山城「滝山城」

今回の史跡は、続日本100名城の123番、東京都八王子市の「滝山城」。

築城の年については諸説ありますが、
1521年(大永元年)、山内上杉氏の重臣・大石定重による築城とも
北条氏が上杉謙信の南下に備えて築城したとも言われております。

北条氏康が河越城の戦いに勝利し山内上杉氏を武蔵国から退けると、
大石氏は北条氏康の三男・北条氏照を娘婿として迎え入れ北条氏の傘下に。
1558年(永禄元年)頃に北条氏照が滝山城に大改修を施します。

1569年(永禄12年)には、小田原へ向かう武田信玄の大軍が襲来。
落城寸前まで攻め込まれるも、なんとかこれを退けたようです。
しかし、この戦いで二の丸まで侵入されたことをふまえて
北条氏照は滝山城よりさらに堅固な城を築く決意をしたとされ、
1584年(天正12年)頃、八王子の地へ新たに築城開始。
この八王子城が完成し居を移すと、滝山城は廃城となったようです。

城内は大小あわせ30もの曲輪があったといわれているほど広大で、
空堀や土塁、馬出等の遺構が良好に残存。
特に中の丸と本丸間、木橋が架かる「大堀切」は圧巻です。

 

「滝山城」の見学ルート①

・都立滝山公園の南西にある滝山観光駐車場に駐車
 勢いのある縄張り看板の下には、パンフレットがあります

・南側の「大手口」から入り、「天野坂」から進んでゆきましょう

・道なりに歩いていくと、左手に「小宮曲輪」下の空堀が見えてきます
 一枚目は南東側、二枚目は少し進んで東側を上から見た図

・最初の分岐路を左へ、左側に広がるのは「小宮曲輪」
 この一帯、往時は家臣の屋敷があったようです

・北方面に進んでいくと、かつて「桝形虎口」があったとされる場所が
 振り返って一枚撮った後、写真右側方向にある空堀もチェック

・桝形虎口からさらに先へ、整備されているのでサクサクと進めます

・先端にある「山の神曲輪」に到着、こちらは民衆の避難場所だったそうな

・北側の眺めは良好、こちら側の見張りは抜かりなくできたでしょう

 

「滝山城」も舞台となった北条氏と武田氏による争い

1554年(天文23年)に甲斐の武田氏、相模の北条氏、駿河の今川氏との間で
結ばれたというのが「甲相駿(こうそうすん)三国同盟」。
これにより北条氏と武田氏は友好関係にありましたが、
桶狭間の戦い後に今川氏が弱体化してゆくと友好関係にひびが入ります。

同盟関係が決裂したのは1568年(永禄11年)末頃。
武田信玄が今川氏真の治めていた駿河へ侵攻開始したことに対し、
北条氏康(今川氏真は娘婿だった)が激怒し破棄したといわれております。

駿河領を狙う武田信玄は、今川氏についた北条氏を牽制するため
1569年(永禄12年)、軍を率い北条氏の本拠地である小田原城方面へ。

この時、武田軍は西南方面の小仏峠から侵攻し滝山城を攻撃。
予想外の方向から襲来した武田軍に意表を突かれ、
北条方は二の丸まで攻め入られるなど窮地に陥りますが、
2000ほどの兵で防ぎ何とか落城を免れたようです。

勢いに乗る武田軍は、この後小田原まで進み城を包囲、
城下に火を放つなどした後、甲斐へ引き上げたのだとか。

今川氏を巡り対立した北条氏と武田氏ですが、
1571年(元亀2年)に北条氏康が亡くなると
後継である北条氏政は武田信玄との和睦を模索。
同年に甲相同盟が復活すると、武田氏は織田氏・徳川氏と、
北条氏は上杉氏との争いが本格化してゆくこととなります。

 

「滝山城」の見学ルート②

・最初の分岐路まで戻り、お次は二の丸・千畳敷・三の丸方面へ

・三の丸の横には、珍しい「コの字土橋」なるものが
 通路をコの字につくり、攻撃機会を増やす工夫をしたものだそうです

・「コの字土橋」のカーブを堪能しながらさらに先へ
 左手にある「千畳敷」は、かつて役場的な施設があったとされております

・千畳敷の東側には「角馬出」がつくられており、
 この辺りから防備がさらに強化されていきます

・角馬出から、防御の要といわれる二の丸方面へ
 見所が多すぎて、この時点で見積もっていた見学時間が大幅に超過…

・「二の丸」は空堀と3つの出入口全てに馬出を配す鉄壁の守り
 次の機会には、時間を多めに取りじっくりと堪能したい場所です

・少し戻り本丸方面へ進むと、右手には二の丸と中の丸間の空堀が
 写真左側、中の丸側には櫓門があったと推定されているのだとか

・さらに進むと、本丸と中の丸を隔てる素晴らしい「大堀切」へ
 大堀切に架かる木橋は、滝山城を代表する撮影スポットです

・南側の桝形虎口から「本丸」へ進入、城跡碑もこちらにあります

・上から大堀切の深さを堪能しつつ木橋を渡り、最後は「中の丸」へ
 中の丸に残る「旧滝山荘」は2000年まで国民宿舎として利用されていたものだとか

 


 
滝山城だけでも見学にかなり時間を使いますが、
滝山三城に数えられる北の「高月城」、西の「根小屋城」、
さらに、南にある「八王子城」はあわせて周りたいところです。


本丸北側に鎮座する「霞神社」

今回の史跡「滝山城」

滝山城(都立滝山公園)
場所:東京都八王子市高月町

電車でのアクセス:JR「八王子駅」下車→西東京バス乗車
         「滝山城址下」下車後、北方面へ徒歩約10分
車等でのアクセス:中央自動車道「八王子IC」から北西方向へ約10分

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

この記事へのコメントや情報提供をお待ちしています

ログイン してコメントを投稿して下さい。
ユーザー登録がお済みでない方は 登録画面 にて登録後、コメントを投稿して下さい。

東京都の記事

人気記事

PR

武将名や合戦場所などで検索

地域カテゴリ一覧

この記事の後によく読まれているおすすめ記事

バックナンバー記事

次の10件を見る

戦国武将の生涯をたどる
  • 信長公の生涯をたどる

    天下布武その生涯をめぐる
    <勝幡〜清洲〜岐阜〜安土>

  • 秀吉公の生涯をたどる

    日本一出世 その生涯をめぐる
    <名古屋〜長浜〜大阪〜京都>

    豊臣秀吉年表へ
  • 家康公の生涯をたどる

    天下泰平までの道のりをめぐる
    <岡崎〜浜松〜江戸〜駿府>

    徳川家康年表へ
  • 加藤清正年表へ