武将愛 SAMURAI HEART

どこにいた家康 Vol.37 江戸城

2023.09.30

この連載は、2023年の大河ドラマ『どうする家康』で舞台となった地を
後追い、あるいは先読みしながらご紹介していくものである。
なお、タイトルにちなんで、記載は年齢問わず「家康」で統一する。

徳川家康による天下統一の礎となった「江戸城」

今回の史跡は、徳川家康が幕府を開き覇を唱える地となった「江戸城」。
「享徳の乱」が起こった頃の1457年、扇谷(おうぎがやつ)上杉家当主・上杉持朝の
家臣・太田道灌が築城、1524年に北条氏の支配下に置かれたとされる城です。

1590年、関八州を与えられた徳川家康が江戸城へ入城、
本丸を拡張するなどの改築を行い、拠点として整備。
1603年に征夷大将軍となった後、天下普請によりさらなる拡張を行いました。

現在、江戸城の本丸・二之丸・三之丸は「皇居東御苑」として整備され、
富士見櫓をはじめ櫓・番所・門などの現存建築物が見られます。

また、内郭にある本丸天守台などの石垣だけではなく、
かつて江戸城内だった東京都千代田区・中央区の各地には石垣がちらほら。
前回の小田原城と同じく、レンタサイクルなどを活用し外堀の跡を周り、
遺構を見ながらその壮大さに思いを馳せるのがおススメです。

「江戸城」に関する記事の一覧はこちら

江戸城跡ってこんなところ!ざっくり案内

 

「江戸城」の見学ルート①

・皇居東御苑の東側入口である「大手門」から入城

実は2つある大手門!もっと知りたくなる江戸城の門

・大手門通過後、最初にあるのが人を見張る役割だった「同心番所」
付近にわかりやすい全体案内図もあるので、チェックしてから進みましょう

・同心番所を右手に見ながら左折すると、お次は「百人番所」があります
要所に配されたこの建物には、その名の通りここに100人が詰めていたとか

百人番所には服部半蔵もいた!徳川家康を護る番所とは

・百人番所を無事通過すると、右手に見えるのは見事な「中之門石垣」

・そして、中之門の奥には最後の番所である「大番所」があります
こちらには、位の高い与力・同心などが配置されていたようです

・中之門跡から正面右手に見える「中雀門跡」へ、その先には広大な「本丸」が

広大な敷地の江戸城跡!本丸御殿のつくりをご紹介した記事はこちら

・本丸に入り、まずは南端にある現存の「富士見櫓」へ
天守焼失後、長らく天守の代わりとして使われた三重の立派な櫓です

・本丸を西側から北上してゆくと、左手には「松の大廊下跡」が
赤穂浪士の討ち入りへつながる刃傷事件の舞台となった場所です

・大奥があったあたりを通過し、正面に見える「天守台」の方へ
天守は明暦の大火で焼失、その後天守が再建されることはありませんでした

 

徳川家康の「江戸城」行きは、豊臣秀吉からの優遇?冷遇?

1590年7月に小田原城が開城すると、同年8月朔日に徳川家康が関東入り。
この「関東移封」に関しては、前回の小田原城でも少しふれましたが
古くから豊臣秀吉が徳川家康を優遇した、いや、冷遇したという議論が続いております。

この関東移封、徳川家康にとって「プラス」にとれる点は、
・三河などを領有時は約120~150万石、関東移封後は約250万石への大加増
・代々三河にいた家臣たちとの「しがらみ」をリセットする好機となった
しかも、豊臣秀吉のせいにできる

一方、徳川家康にとって「マイナス」にとれる点は、
・警戒され、「左遷」のように豊臣政権の中枢だった京都や大坂から遠ざかる
・北条氏代々の治世が行き届いていた土地を、新たに統治するのは難事
また、北条氏の残党が不穏な動きを見せる可能性もあり

なぜ小田原城ではなく江戸城を拠点としたかという点についても、
・徳川家康が江戸という地に可能性を見出した
・江戸を本拠地とするよう、豊臣秀吉が徳川家康にアドバイスした
などの様々な説があります。

三河家臣団からすれば、慣れ親しんだ土地を離れるのは受け入れがたいこと。
豊臣秀吉が関東行きを命じ、それを受け入れさせるため徳川家康はどうしたのか、
『どうする家康』でどのように描かれるかに注目しましょう。

 

「江戸城」の見学ルート②

・本丸を後にし、北東側にある梅林坂を下って二の丸へ
梅林坂から汐見坂にかけて積まれた、素晴らしき「本丸石垣」

・さらに進むと、汐見坂の先には「白鳥濠」と築城当時の「石垣」が
徳川家康時代に、打ち込みハギで築かれた貴重な「石垣」です

・皇居東御苑から出て、右手に堀と「巽櫓」を見ながら南下
写真左にちらっと見えるのは、「桔梗門」と「富士見櫓」です

・そして、江戸城と言えば外せないのが、この「二重橋」と「伏見櫓」の図
写真スポットとしても知られ、外国人の方々も多く集まる場所です

・皇居外苑をさらに南へ行くと、雄大な「桜田門」が見えてきます
歴史の授業で習った、桜田門外の変の舞台として有名ですね

桜田門といえばやっぱり井伊直弼!

・ここからはおまけ、こちらは日比谷公園にある「日比谷見附跡」

・最後は、さらに離れて「牛込門跡」「四谷門跡」「赤坂門跡」の石垣を
街の中に残った石垣を探す外堀巡りは、とてもいい運動になります

 

次回どうなる、『どうする家康』

三河一向一揆の頃から出演していた千代が再登場、
真田氏との婚姻問題が解決、於愛の方が退場とバラエティ豊かな前回。
終盤には、戦を回避するため豊臣氏と北条氏の間をとりもとうとするも、
小田原征伐を決めていた豊臣秀吉に徳川家康が翻弄されるシーンもありました。

様々な逸話がある小田原征伐、どの逸話が登場するかというのも楽しみですが、
関東移封という重大な「どうする」に直面する徳川家康の姿にも注目ですね。
全48回という発表がありましたが、まだまだ見せ場は盛りだくさん。
どのような配分で話が進んでいくのかにも興味津々です。


皇居外苑に建つ「楠木正成像」

今回の史跡「江戸城」

江戸城
場所:東京都千代田区千代田1

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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