続100名城を巡る「滝山城」
2024.11.28
2023.09.30
この連載は、2023年の大河ドラマ『どうする家康』で舞台となった地を
後追い、あるいは先読みしながらご紹介していくものである。
なお、タイトルにちなんで、記載は年齢問わず「家康」で統一する。
今回の史跡は、徳川家康が幕府を開き覇を唱える地となった「江戸城」。
「享徳の乱」が起こった頃の1457年、扇谷(おうぎがやつ)上杉家当主・上杉持朝の
家臣・太田道灌が築城、1524年に北条氏の支配下に置かれたとされる城です。
1590年、関八州を与えられた徳川家康が江戸城へ入城、
本丸を拡張するなどの改築を行い、拠点として整備。
1603年に征夷大将軍となった後、天下普請によりさらなる拡張を行いました。
現在、江戸城の本丸・二之丸・三之丸は「皇居東御苑」として整備され、
富士見櫓をはじめ櫓・番所・門などの現存建築物が見られます。
また、内郭にある本丸天守台などの石垣だけではなく、
かつて江戸城内だった東京都千代田区・中央区の各地には石垣がちらほら。
前回の小田原城と同じく、レンタサイクルなどを活用し外堀の跡を周り、
遺構を見ながらその壮大さに思いを馳せるのがおススメです。
・皇居東御苑の東側入口である「大手門」から入城
・大手門通過後、最初にあるのが人を見張る役割だった「同心番所」
付近にわかりやすい全体案内図もあるので、チェックしてから進みましょう
・同心番所を右手に見ながら左折すると、お次は「百人番所」があります
要所に配されたこの建物には、その名の通りここに100人が詰めていたとか
・百人番所を無事通過すると、右手に見えるのは見事な「中之門石垣」
・そして、中之門の奥には最後の番所である「大番所」があります
こちらには、位の高い与力・同心などが配置されていたようです
・中之門跡から正面右手に見える「中雀門跡」へ、その先には広大な「本丸」が
広大な敷地の江戸城跡!本丸御殿のつくりをご紹介した記事はこちら
・本丸に入り、まずは南端にある現存の「富士見櫓」へ
天守焼失後、長らく天守の代わりとして使われた三重の立派な櫓です
・本丸を西側から北上してゆくと、左手には「松の大廊下跡」が
赤穂浪士の討ち入りへつながる刃傷事件の舞台となった場所です
・大奥があったあたりを通過し、正面に見える「天守台」の方へ
天守は明暦の大火で焼失、その後天守が再建されることはありませんでした
1590年7月に小田原城が開城すると、同年8月朔日に徳川家康が関東入り。
この「関東移封」に関しては、前回の小田原城でも少しふれましたが
古くから豊臣秀吉が徳川家康を優遇した、いや、冷遇したという議論が続いております。
この関東移封、徳川家康にとって「プラス」にとれる点は、
・三河などを領有時は約120~150万石、関東移封後は約250万石への大加増
・代々三河にいた家臣たちとの「しがらみ」をリセットする好機となった
しかも、豊臣秀吉のせいにできる
一方、徳川家康にとって「マイナス」にとれる点は、
・警戒され、「左遷」のように豊臣政権の中枢だった京都や大坂から遠ざかる
・北条氏代々の治世が行き届いていた土地を、新たに統治するのは難事
また、北条氏の残党が不穏な動きを見せる可能性もあり
なぜ小田原城ではなく江戸城を拠点としたかという点についても、
・徳川家康が江戸という地に可能性を見出した
・江戸を本拠地とするよう、豊臣秀吉が徳川家康にアドバイスした
などの様々な説があります。
三河家臣団からすれば、慣れ親しんだ土地を離れるのは受け入れがたいこと。
豊臣秀吉が関東行きを命じ、それを受け入れさせるため徳川家康はどうしたのか、
『どうする家康』でどのように描かれるかに注目しましょう。
・本丸を後にし、北東側にある梅林坂を下って二の丸へ
梅林坂から汐見坂にかけて積まれた、素晴らしき「本丸石垣」
・さらに進むと、汐見坂の先には「白鳥濠」と築城当時の「石垣」が
徳川家康時代に、打ち込みハギで築かれた貴重な「石垣」です
・皇居東御苑から出て、右手に堀と「巽櫓」を見ながら南下
写真左にちらっと見えるのは、「桔梗門」と「富士見櫓」です
・そして、江戸城と言えば外せないのが、この「二重橋」と「伏見櫓」の図
写真スポットとしても知られ、外国人の方々も多く集まる場所です
・皇居外苑をさらに南へ行くと、雄大な「桜田門」が見えてきます
歴史の授業で習った、桜田門外の変の舞台として有名ですね
・ここからはおまけ、こちらは日比谷公園にある「日比谷見附跡」
・最後は、さらに離れて「牛込門跡」「四谷門跡」「赤坂門跡」の石垣を
街の中に残った石垣を探す外堀巡りは、とてもいい運動になります
三河一向一揆の頃から出演していた千代が再登場、
真田氏との婚姻問題が解決、於愛の方が退場とバラエティ豊かな前回。
終盤には、戦を回避するため豊臣氏と北条氏の間をとりもとうとするも、
小田原征伐を決めていた豊臣秀吉に徳川家康が翻弄されるシーンもありました。
様々な逸話がある小田原征伐、どの逸話が登場するかというのも楽しみですが、
関東移封という重大な「どうする」に直面する徳川家康の姿にも注目ですね。
全48回という発表がありましたが、まだまだ見せ場は盛りだくさん。
どのような配分で話が進んでいくのかにも興味津々です。
皇居外苑に建つ「楠木正成像」
江戸城
場所:東京都千代田区千代田1
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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