続100名城を巡る「滝山城」
2024.11.28
2016.04.29
江戸城の遺構、百人番所。この番所には、徳川家康に仕えた服部半蔵が詰めていたということをご存じでしょうか。
今回は、江戸城の遺構、3つの番所についてお話していきますね。
その前にぜひご紹介しておきたいことがあるのです。
江戸城の遺構のひとつ、百人番所。
ここには、根来組、伊賀組、甲賀組、二十五騎組の4つの組が交代で詰めていて、昼夜を問わず、警護に当たっていました。
そして、百人番所に詰めていた伊賀組を率いていたのが服部半蔵です。
『服部半蔵』は忍者として有名ですが、徳川家康に仕えていた服部半蔵は忍者ではありません。
武士で槍の名手です。
実は「服部半蔵」という名前は、代々受け継がれている名前で、初代だけが忍者だったようです。
少し話が逸れますが、江戸城にある半蔵門は、この服部半蔵に由来するもので、
その功績をたたえられてつけられたとか、服部家がこの門外に屋敷を与えられていて、将軍が非常事態にこの門から、甲州街道へ抜け出るために使われたので半蔵門とつけられたなど、いくつかの説があります。
いずれにしても、たくさんの武士たちがいた中で、現在にも名を残す服部半蔵の功績はきっと素晴らしいものだったのでしょう。
江戸城の遺構である3つの番所について、話を進めていきますね。
正門に当たる大手門から入ると、まず、この3つの番所を目にすることになります。
当時、江戸城には、いくつかの門がありましたが、
江戸城本丸の正門である大手門をくぐると、三の丸尚蔵館を過ぎたところに同心番所を見ることができます。
同心番所には、『同心』という幕府の下級武士が詰めていて、お城に来た大名や旗本たちを検閲していました。まずは、何かいけないことをしないかを調べます。最初の検問ですね。
同心番所を過ぎ、渡櫓門石垣の間を抜けると、百人番所が見えます。
長さが50mもある大きな番所です。
(徳川家の御紋がついています。)
百人番所は、同心番所で一度調べた後、さらに詳しく調べるための場所です。
百人番所という名称は同心百人が一組となって、交代で警護をしていたのでそのような名称になったということです。
そして、百人番所よりもさらに奥には、同心番所や、百人番所よりも位の高い与力、同心が警護に当たる大番所があります。
大番所は、江戸城本丸への最後の番所です。かなり厳重な検閲ですね。
江戸城の建物そのままが残されている3つの遺構。
ぜひじっくりと味わってください。
皇居 東御苑 東京都千代田区千代田
東京メトロ 大手町駅
開苑時間 原則として月曜日と金曜日以外の各日
午前9時~午後4時45分(4月15日~8月末日)
午前9時~午後4時15分(3月1日~4月14日、9月1日~10月末日)
午前9時~午後3時45分(11月1日~2月末日)
入苑は閉苑の15分前まで。
入場無料
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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