家康と秀吉を父にもつ結城秀康の子「松平大和守直基」の墓所は神奈川県にある
2025.09.10
2025.09.16
「厄除けのお大師さま」として名高い川崎大師。
関東地方だけではなく、全国から篤い信仰を集めています。
川崎大師で親しまれていますが、正式名称は「金剛山 金乗院 平間寺(こんごうさん きんじょういん へいけんじ)」。
今回は、川崎大師と徳川家との関係、そして、ぜひ立ち寄っていただきたいおすすめスポット3選をご紹介していきます。
川崎大師の総本山は、真言宗智山派の総本山の智積院(ちしゃくいん)。
千葉県成田市の成田山新勝寺、東京都八王子市の髙尾山薬王院とともに、真言宗智山派の大本山の寺院のひとつです。
ありとあらゆる災厄を、消除する厄除大師として、平安末期、崇徳天皇の御代から、人々を救ってきたそうです。
その始まりは、平間兼乗(ひらまかねのり)という人物の夢のお告げです。
無実の罪で生まれ育った尾張(現在の愛知県)を追われてしまった平間兼乗は、諸国を流浪し、最後に川崎にたどり着きました。
漁師として慎ましく暮らしていた平間兼乗は、とても弘法大師を崇信していました。
兼乗が42歳厄年のときのことです。
夢まくらに高僧が立ち、このように告げました。
「我むかし唐にありしころ、我が像を刻み、海上に放ちしことあり。以来未だ有縁の人を得ず。いま、汝速やかに網し、これを供養し、功徳を諸人に及ぼさば、汝が災厄転じて福徳となり。諸願もまた満足すべし」。
夢のお告げ通りに海に出てみると、海中から木像を引き上げました。
その木像が御本尊・厄除弘法大師尊像です。
ある時、諸国遊化の途中の高野山の尊賢上人が、偶然にも平間兼乗のもとに立ち寄りました。
高野山の尊賢上人は、平間兼乗の境遇と弘法大師像をお祀りしていることを知ると、大変感激されました。
そして、尊賢上人と平間兼乗は、1128年に寺を建立すると、その寺を、平間兼乗の姓である「平間」をとり、平間寺(へいけんじ)と号して御本尊に厄除弘法大師を奉安しました。
1134年、平間兼乗は、お大師さまのご加護ご利益によって無実の罪が晴れ、生国の尾張に帰ることができました。
のちに、平間寺は、徳川11代将軍である徳川家斉の厄除け祈願参拝によって、江戸庶民に「厄除けのお大師さま」として広く知られるようになったそうです。
ところで、徳川家斉が厄除け祈願に行っただけで、なぜ江戸庶民に広く知られたのでしょうか。
それは、徳川家斉が前厄厄除の参詣することが決まった際、その当日に平間寺の降円上人が急逝してしまったからです。
降円上人が、徳川家斉の厄を肩代わりしたものと庶民に風聞が立ちました。
このことから、厄除け大師の御利益が高いということになったそうです。
(※「東海道かわさき宿交流館」資料による)
大山門。
堂塔伽藍をかこう浄域結界の総門です。
NHK「ゆく年くる年」で映し出される「鐘桜堂」の鐘です。
消防紀念碑
江戸時代の消防組織は、「定火消「大名火消」「町火消」の3つがありました。
「町火消」は、幕臣大岡忠相(おおおかただすけ)によって組織化されたということです。各々の組を、いろはの字を振り当てられていたので、いろは歌を詠んだ弘法大師をまつる寺である川崎大師に建碑されたそうです。
川崎大師は、このほかにも多くの碑があります。
どれも新しいものが多いですが、川崎大師の歴史は古く、仲見世通りは、たくさんのお店が並んでいて楽しむことができます。
飴を刻む「トントコ、トントコ」という軽快な音もぜひ聞いてみてください。
川崎市川崎区大師町4-48
京急川崎駅から大師線に乗り換え 川崎大師駅下車徒歩8分
大本堂開扉時間
平常時(2月1日~12月30日)の大本堂開扉時間
4月~9月 5:30~18:00
10月~3月 6:00~17:30
但し21日は5:30~17:30
拝観料 無料
地域カテゴリ
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
関東地方の記事
バックナンバー記事
この記事へのコメントや情報提供をお待ちしています