100名城を巡る 金山城
2024.09.28
2024.05.27
この連載は、公益財団法人日本城郭協会が定めた「日本100名城」の中で、
筆者が訪れたことがあるお城を紹介してゆくものである。
なお、城郭名は「日本100名城」の表記に合わせ記してゆく。
今回の史跡は、日本100名城の18番、埼玉県大里郡寄居町の「鉢形城」。
1476年(文明8年)頃、「長尾景春」による築城がはじまりといわれております。
「長尾景春」は、関東管領の山内(やまのうち)上杉家に仕え、
「戦国時代の始まり」ともいわれている「享徳の乱」にも参戦し活躍。
祖父の長尾景仲も父の長尾景信も山内上杉家の家宰(筆頭重臣)になっており、
どうやら「長尾景春」は自分も家宰になると期待していたようです。
しかし、「長尾景信」亡き後、山内上杉家当主・上杉顕定(あきさだ)は
「長尾景春」ではなく、その叔父である長尾忠景を家宰として指名。
本来持ち回り制の家宰職を同家から二代連続輩出したことが例外であり、
長尾一族で最も年長者が家宰となるというような風習があったようですが、
「長尾景春」は家宰となれなかったことを恨み、「鉢形城」を拠点として反旗を翻したとか。
「長尾景春」の反乱は、もうひとつの上杉家である扇谷(おおぎがやつ)上杉家の
太田道灌が鎮圧、「長尾景春」は「鉢形城」を追われる結果に。
その後、重要な地にあることから関東の争乱で何度も戦場となり、
北条氏が台頭した後は北条氏邦が入り居城とします。
北条氏邦は鉢形城の改修を行い、武田信玄や上杉謙信の侵攻をはね返すも、
1590年(天正18年)の小田原攻めで豊臣秀吉軍に包囲され開城。
同年に行われた徳川家康の関東入り後は、徳川氏の統治を経て廃城となりました。
・鉢形城公園の真ん中あたりにある駐車場からスタート
駐車場から北東方面へ進み、まずは本曲輪へ
・歩いて3分ほどで「本曲輪」へ到着
本丸跡は、城跡碑の後ろにあるような土塁で囲まれております
・こちらは「本曲輪」からのぞむ北側、寄居の街並み
・本曲輪の続きにある「伝御殿曲輪」からさらに先へ
・鉢形城公園の北端にあたる「笹曲輪」へ到着
伝御殿曲輪との通路には、珍しい石垣の遺構もあります
・「笹曲輪」の全体図と城跡碑
・笹曲輪には案内図や模型があるので、改めて縄張りをチェック
・城跡を通る道路を南へ戻り、二の曲輪方面へ
写真前方、右側が伝御殿曲輪、左側が伝御殿下曲輪
・二の曲輪にある「城山稲荷」入口付近
ここから二の曲輪へ入ってゆきましょう
豊臣秀吉が北条氏をターゲットにし行った小田原攻め。
各地にあった北条氏の支城で激しい戦いが起きましたが、「鉢形城」もその中の一つです。
攻める豊臣方は、前田利家、上杉景勝、真田昌幸ら歴戦のツワモノに加え、
後に援軍として浅野長政や本多忠勝らの将と30000以上もの兵が集結。
対して守る北条方は、北条一族の北条氏邦と3000ほどの兵だったようです。
圧倒的な兵力で小田原城の支城を攻略してゆく豊臣軍でしたが、
この「鉢形城」では、10倍の兵力を擁しながら籠城する北条氏邦たちを攻めあぐねて苦戦。
交通の要衝にある「鉢形城」をいつ攻略できるのか、と豊臣秀吉も気をもみ、
参戦している浅野長政へ何度も指示を出していたと言われております。
事態が動いたのは、開戦から1ヶ月経った頃。
援軍として参戦した本多忠勝が山の上から大砲を「鉢形城」へ撃ち込むと、
北条氏邦が被害の状況を鑑み、城兵の助命を条件に開城します。
戦後は、北条氏邦の武勇を惜しみ前田利家が助命を嘆願、
以後北条氏邦は前田利家の家臣となり金沢で亡くなったようです。
・「二の曲輪」へ到着、広い空間の北西側に土塁が見られます
・私的に「鉢形城」といえばココ、二の曲輪と秩父曲輪間の堀
往時は、二の曲輪側の土塁も同じくらいの高さがあったそうな
・秩父曲輪と馬出間に架かる「木橋」を堀内から一枚
・「馬出」内から秩父曲輪方面を見た写真と、その逆の写真を一枚ずつ
馬出と曲輪間の堀など、この周辺が「鉢形城」最大の見どころと言えるでしょう
・馬出周りを堪能した後、二の曲輪の西にある「秩父曲輪」へ移動
名の由来は、秩父孫次郎という人物が守備をしていたことからだとか
・こちらは秩父曲輪の西側ある、復元された「石積土塁」
石垣を構成する「裏込め石」を使わず、単に積む構造だったようです
・石積み土塁の側にある、土塀を備えた「四脚門」
忠実な復元ではありませんが、品格のある建築物です
・最後は、三の曲輪の隣にある「馬出」の遺構と、
その付近から振り返って見た二の曲輪と秩父曲輪方面の写真
鉢形城周辺には魅力的な城がたくさんあり、
南東方面には続100名城の「杉山城」と「菅谷館」、
北西方面には「花園城」「天神山城」など見どころ満載です。
小田原城の支城のひとつだった「岩槻城」の城門
鉢形城(鉢形城公園)
場所:埼玉県大里郡寄居町鉢形2692−2
電車でのアクセス:JR「折原駅」から北へ徒歩約20分
車等でのアクセス:西関東連絡道路「寄居折原IC」から東方向へ約5分
地域カテゴリ
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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