名古屋城石垣の刻印を見に行こう! Vol.04 大天守 其の四
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2016.11.02
小牧・長久手の戦いシリーズ、いよいよ大詰め、長久手合戦の池田恒興、森長可軍が大敗しそれぞれの
「勝入塚(池田恒興)」「庄九郎塚(池田之助)」「武蔵塚(森長可)」がある場所は、長久手市郷土資料室となっています。
豊臣秀吉と徳川家康の直接対決「小牧長久手の戦い」を紐解く記事はこちら
駅で言うと長久手古戦場駅のすぐ目の前です。
ここに猛将で知られた3名の墓があります。
駅を降りるとこんな彫刻がお出迎え。
小牧・長久手の戦いを現したアートです。
長久手はアートが多い町ですね。
アートの裏は長久手市郷土資料室。その裏手には
名前は勝入塚。大きな石碑が特徴です。
長久手市郷土資料室にはこの戦いがよくわかる庭があるので併せてチェックしましょう。
なんとこの小高い山、それぞれ仏ケ根、御旗山、桧ケ根なのです。
平面図にするとその距離感は短いのですが、当時はこんなふうに山と山の間で戦っていたので、近くでどんな戦いが行われているのかまったくわからなかったのですね。
勝入塚の裏に回ると、
こちらもキレイになっています。
せっかくなら池田恒興の娘婿の森長可のお墓にも行きたいですよね。
森長可の武蔵塚はすこし離れた住宅街の中にあります。
電信柱の住所がまさにそのものになっていますよ。
こちらが武蔵塚がある場所。
広場になっています。
その端っこの方にある石碑が武蔵塚です。
「森長可」が、鬼武蔵という異名からつけた名前とのこと。
目立たないようにひっそりとある塚。
本人の生き方を表したような慎ましやかなたたずまいです。
ちなみに森長可は猛将でしたが、自分の娘は医者に嫁がせたいと考えるほど武士という生き方の不安定さを誰よりも感じていた人でした。
この3武将はけして戦下手な武将ではありません。
しかし、ボタンの掛け違えやほんの少しのタイミングがズレにズレて敗戦という結果になってしまいます。
その後は蟹江、長島城、犬山、小牧で小競合いが続き、11月に和睦という形で集結します。
長い戦いになりますが、長久手合戦が一番大きな激突となりました。
その戦い自体がなんだったのか、良くわからない方も多いかもしれませんが、豊臣政権が確固たるものになるための天下分け目の戦いと言ってもいいほどの意味を持つ戦いでした。
激戦区、長久手古戦場はぜひ見て回ることをオススメします!
北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
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