武将愛 SAMURAI HEART

足跡を巡る 徳川家康の巻:其の五

2022.01.29

「足跡を巡る」とは

戦国武将の生涯を、写真とともに辿っていくシリーズ。
物事が起こった年代、諸説ある動機や人間関係などについては
深く考えずにざっくりとふれていく連載である。

高天神城奪還

設楽原で武田軍に大打撃を与え、これを好機と見て失地回復をはかる家康。
高天神城奪還にむけ、横須賀城などを築き攻略にとりかかります。


嫡男・信康に武田方と内通した疑いで切腹を命じる、という悲劇を経て
1582年、高天神城奪還に成功。武田家滅亡後、蒲原城なども取り返します。


横須賀城跡
所在地:静岡県掛川市西大渕5383

蒲原城跡
所在地:静岡県静岡市清水区蒲原2528

伊賀越え

織田信長の招きにより安土城を訪れた家康は、引き続き堺に滞在し畿内を視察。
その最中、家康のもとに「信長が本能寺で討たれる」という信じがたい報せが。

突然の凶報に混乱する家康一行でしたが、気を取り直し岡崎に帰ることを決断。
小川城から伊賀惣国一揆が支配する危険地帯を脱して、本拠地まで帰還しました。


これが世に言う「神君伊賀越え」ですが、そのルートについては諸説あります。
下の写真は、家康一行がその道中に休憩したと伝わる遍照院。


小川城跡
所在地:滋賀県甲賀市信楽町小川

遍照院
所在地:京都府綴喜郡宇治田原町奥山田岳谷17

天正壬午の乱

羽柴秀吉が信長の弔い合戦を制した頃、家康は甲斐国をめぐって北条氏と対立。
徳川軍は新府城に布陣し戦を展開、最終的に両者は和睦し同盟関係となります。


この争いで活躍したのが真田昌幸でしたが、彼の占領地は和睦で北条氏のものに。
扱いに不満を抱いた昌幸は、以後家康にとって悩ましい存在となります。

新府城跡
所在地:山梨県韮崎市中田町中條4787

小牧・長久手の戦い

賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破った秀吉と織田信雄でしたが、両者の関係は徐々に悪化。
1584年に秀吉が出兵すると、家康も信雄と組んで参戦し、両軍は小牧の地で激突します。

岩崎城攻防戦などで一進一退の展開の後、家康は小牧山城から移動し色金山へ布陣。
岡崎奇襲を狙った羽柴軍を長久手で破るなど、戦況を変え優位な立場に。


こちらは、家康が色金山から進軍し金扇の馬印を立てたという御旗山。

その後この戦いは、家康の知らぬところで信雄が秀吉と和睦し終結。
はしごを外されたかたちの家康も、次男・於義丸を秀吉の養子とし和睦します。

色金山歴史公園
所在地:愛知県長久手市岩作色金35

御旗山(富士浅間神社)
所在地:愛知県長久手市富士浦602

おまけ

其の一は、切腹に追い込まれた松平信康の首塚がある若宮八幡宮。
切腹に至った原因は、ご乱心説やら父子不仲説やらありますが真相やいかに。


其の二は、本能寺の変を知った家康が切腹を考えた場所と言われる知恩院。
ここで家臣たちの説得を受け入れなければ、後の世はどうなっていたやら。


若宮八幡宮
所在地:愛知県岡崎市朝日町字森畔12

知恩院
所在地:京都府京都市東山区林下町400

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。マイ甲冑作成教室や甲冑試着体験を行う「あいち手作り甲冑サポート塾」に所属し、現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催。

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