どこにいた家康 Vol.14 金ヶ崎城
2023.04.16
2025.09.13
この連載は、公益財団法人日本城郭協会が定めた「続日本100名城」の中で、
筆者が訪れたことがあるお城を紹介してゆくものである。
なお、城郭名は「続日本100名城」の表記に合わせ記してゆく。
今回の史跡は、続日本100名城の137番、福井県福井市の「福井城」。
1575(天正3)年に柴田勝家が築いた「北ノ庄城」が前身だとされていますが、
現在遺構が残る結城秀康築城の「福井城」との関連性ははっきりしておりません。
1606(慶長11)年頃に天下普請(公儀普請)で築城されますが、
1669(寛文9)年に天守や櫓の多くが焼失してしまい、以降は再建されず。
2008(平成20)年に御廊下橋、2018(平成30)年に山里口御門が復元。
現在は、明治初期頃まで本丸の南西隅にあった坤櫓(ひつじさるやぐら)
および本丸西側土塀の復元に向け調査が進んでおります。
・県庁となっている本丸跡の南側にあるコインパーキングに駐車、
まずは令和7年9月現在埋め立てられている西南の堀方面へ
・「坤櫓」の復元が計画されているのが、石垣右隅の上
・水面下にあった卍、丸に丁、斧などの「刻印」がお目見え!
・2008年に復元された「御廊下橋」から本丸跡内へ
・こちらも同じく復元された「山里口御門」の桝形からさらに先へ
・山里口御門をくぐった先の左手には天守台南側の石垣が
ここにもちらほらと「刻印」があるので目を凝らしましょう
・階段を登り天守台の方へ、こちらには地震で崩れてしまった石垣や、
福井という名の由来となったらしい「福の井」があります
・北側を見下ろせば写真の通り
こちらにも「刻印」があるので望遠手段があるなら要チェック
・南側に移動すれば、「山里口御門」の石瓦屋根が上から見られます
1574(天正2)年、徳川家康の次男として誕生。
母は築山殿の奥女中だった長勝院(通称、於古茶や於万など)、
双子の一人として生まれたといわれております。
正室である築山殿が突発的だった長勝院の妊娠を認めず、
長勝院は浜松城から追放され、本多重次の支援を受け出産。
幼名を於義伊とされた後の結城秀康は、当初徳川家康の子とされませんでした。
ちなみに、築山殿の処置は厳しいように感じられますが、
側室でもなかった長勝院が徳川家康の子を産むと家督争いなどでややこしくなり、
正室として秩序を保つために追放したと考えられているようです。
於義伊が徳川家康の子として認められたのは、築山殿が亡くなった後。
徳川家康は同時期に嫡男だった松平信康も失ったため、
次男の於義伊を後継者として迎え入れたと思われます。
於義伊の運命を変えたのは、1584(天正12)年に起こった小牧長久手の戦い。
徳川家康が羽柴秀吉と和睦する際、於義伊を羽柴家へ養子として送り込みます。
於義伊は「羽柴秀康」と名乗ることとなり、今度は羽柴秀吉の後継者候補に。
1587(天正15)年に九州征伐で初陣を飾り、後に豊臣姓を賜るなど活躍しましたが、
1589(天正17)年に豊臣秀吉の子(鶴松)が誕生すると、またも運命が一転。
今度は結城家へ養子に行くこととなり、翌年に「結城秀康」となります。
色々と振り回された人物に見えますが、その才覚は確かだったようで、
1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いに際しては、
実父である徳川家康から上杉家を抑えるという重要な役目を任されます。
その後、結城秀康は越前国北ノ庄68万石へ加増移封され福井城を築城。
1605(慶長10)年頃、病に倒れ翌々年亡くなります。享年34。
・県庁の南側へ移動、ユーモラスな「結城秀康像」があるあたりへ
・南の玄関口、「瓦御門跡」の石垣をチェック
ここにも良い「刻印」が何個かありました
・瓦御門跡から外に出て、東側からも水を抜いた堀を見学
二つ目の写真は、二つ串団子っぽい刻印
・ここから外回り、まずは写真右端に巽櫓があった南側の石垣から
・写真中央、縦にひかれた線はおそらく「刻線」
担当する工事範囲を見える化するために引くものです
・こちらは北側の石垣、もちろんこちらにも「刻印」あり
・本丸跡北側の石垣刻印探しに夢中でしたが、足元の石にも「刻印」が
刻印探しをしていると、いくら時間があっても足りません…
・近くの「福井市役所」前にも刻印石がたくさん展示してあるので、
こちらも忘れずに訪れましょう
現在の福井城本丸跡から南へ10分ほど歩けば、
北ノ庄城跡とされる柴田神社や資料館があります。
勇ましい柴田勝家像やお市と三姉妹像などもあるので、
福井城とあわせて行きたいところです。
羽柴軍ににらみを効かせるためか、南側を向いて構える「柴田勝家像」
福井城(福井県庁)
場所:福井県福井市大手3丁目17−1
電車でのアクセス:JR「福井駅」下車後、北西方面へ徒歩約5分
車等でのアクセス:北陸自動車道「福井IC」から北西方向へ約15分
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新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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