どこにいた家康 Vol.14 金ヶ崎城
2023.04.16
2023.04.02
この連載は、2023年の大河ドラマ『どうする家康』で舞台となった地を
後追い、あるいは先読みしながらご紹介していくものである。
なお、タイトルにちなんで、記載は年齢問わず「家康」で統一する。
第十三回は、徳川家康一行がうきうき気分で上洛…から一転、色々振り回されるというお話。
強烈なキャラだった足利義昭はもちろん、浅井長政や明智光秀もいいキャラだったと思います。
織田信長が徳川家康・浅井長政に「弟たち」と語りかけたり、徳川家康が茶々を腕に抱いたり…
今後の展開を考えると、何とも言えない気持ちになるシーンもありましたね。
今回ご紹介する史跡は、戦国大名・朝倉氏の栄枯盛衰を物語る一乗谷朝倉氏遺跡です。
下剋上の先駆者ともいえる7代当主・朝倉孝景がこの地で名乗りを上げ、
応仁の乱後は京から公家や文化人などが移り住み一乗谷は「北の京」と呼ばれるまでに発展。
『どうする家康』の時代である11代当主・朝倉義景の時代あたりで最盛期を迎えました。
・一乗谷 城下町への北側出入り口である「下城戸」
・一乗谷 江戸時代に再建された朝倉氏遺跡のシンボル「唐門」
・一乗谷 唐門をくぐった先にあるのは「朝倉義景館」の跡
1568年、足利義昭をここに招いてもてなしたそうです
館跡の周りは土塁と堀で囲まれており、唐門のある西側には隅櫓もあったとか
湯殿跡庭園へ至る東南側には、「朝倉義景墓」もあります
・一乗谷 湯殿跡庭園と中の御殿跡間にある見事な「空堀」
・一乗谷 中の御殿跡東側の坂を上ると、朝倉孝景のお墓である「英林塚」があります
山麓にある居館とは別に、有事に備えて築いていたのが山上にある一乗谷城。
往時の堅固な山城としての姿が現在も見られますが、実は一度も使用されなかったとか。
後に織田信長が越前へ侵攻した際は、電光石火の攻めでこの山城に籠る暇を与えず勝利。
その後、朝倉氏の築いた一乗谷は織田軍により灰燼に帰したといわれております
・一乗谷城 山上へのルートは4つあり、どのルートもなかなかハードな道のり
車で行くならば、下城戸あたりから林道を進む三万谷ルートがおススメ
・一乗谷城 城郭にはこのような「空堀」や、斜面に張り巡らされた畝状空堀群が盛りだくさん
・一乗谷城 三方を土塁で囲んだ「観音屋敷跡」、土塁好きにはたまりません
・一乗谷城 「宿直(とのい)跡」からは、福井平野方面が一望できます
・博物館 2022年にオープンした「一乗谷朝倉氏遺跡博物館」には、
城下町の建物や人々の暮らしがわかる、精巧なジオラマがあります
特に朝倉館の原寸再現は圧巻ですので、行かれる際は博物館も是非ご覧あれ
織田信長から突然の朝倉攻めを明かされ、次回は若狭から一乗谷へ攻め込むお話。
朝倉氏と同盟関係だった浅井長政が織田信長を裏切る、という展開をどう描くのかに注目です。
金ヶ崎城で挟み撃ちのピンチを救うのは、お市と一緒にいた「阿月(あづき)」でしょうか。
一乗谷朝倉氏遺跡
場所:福井県福井市城戸ノ内町
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
福井県の記事
徳川家康の記事
この記事の後によく読まれているおすすめ記事
バックナンバー記事
この記事へのコメントや情報提供をお待ちしています