武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2022年5月14日記事のため内容が古い可能性があります。

城を巡る 復興天守の巻:越前大野城

2022.05.14

復興天守とは

かつては天守が存在した城に再建するもののうち、
資料が乏しいため他の天守を参考に再建したり、
資料はあるものの異なる外観で再建された天守を指す。

北陸の小京都に浮かぶ「越前大野城」

「天空の城」としても知られる、福井県大野市にある梯郭式平山城、「越前大野城」。
1576年に金森長近により普請開始、1580年に完成する。
1795年に天守が焼失、その後1968年に現在の天守が再建される。

南登り口

4方面にある登り口のうち、駐車場に近く比較的緩やかな南口から登城。

城門を抜けて最初の折り返しへ。こんな感じの道が続きます。

道中は階段によるショートカットが可能。結構傾斜があるのでお好みで。

遊具のある曲輪からこの階段を登ると、本丸南側入口の門が見えてきます。

石垣とお福池

門の先では、緩やかに美しいカーブを描く石垣がお出迎え。石垣上には天狗書院と天守が。

その手前にあるのがお福池。名の由来は、金森長近の正室・お福からきているとか。

お福池横の階段上には、武器などが保管されていた武具蔵跡があります。

天守と西側の石垣

本丸北西にある焔硝蔵跡を通過し、天守と石垣を右手に見ながら東方面へ移動。

桜の時期は少し過ぎていましたが、葉桜になっても石垣と天守に合いますね。

続いて、本丸北側に向かい築城主・金森長近の像がある方へ。
岐阜県の高山城にある騎馬像と異なり、デフォルメされたお姿です。

天守台石垣

こちらは、天守台の東側入口を下から上から見た図。
資料がないため構造は不明とのことですが、はたして往時はどのような姿だったのでしょうか。

天守最上階

天守の最上階にやってきました。金網に囲まれておりますが、見学用に隙間があいております。

金網の隙間から覗くと、東側には本丸、南側には天狗書院が。

西側を見ると手前に見える山には、戌山城跡があります。

遠望

こちらは戌山城跡から見た越前大野城。雲海に浮かぶ姿を見るならここから。

外堀

南登り口まで戻り、すぐ近くに流れる新堀川へ。往時は、南側の外堀だったそうです。

移築門

最後は、城郭内から少し離れた場所へ移築された門を見てゆきましょう。
現在、真乗寺の山門となっているのが、江戸時代建築の本丸不明門。

そして、二の丸正門だった鳩門が、光明寺に移築されております。

遺構もよく残っているため、戌山城跡と合わせて見学するのがオススメです。
次回は、復興天守シリーズ最終回。『のぼうの城』の舞台となったあのお城へ。

 

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越前大野城へのアクセス

電車で行く:JR「越前大野駅」より西方面へ徒歩約20分。
車 で行く:北陸自動車道「福井IC」より、東方面へ約30分。

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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