武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2023年4月16日記事のため内容が古い可能性があります。

どこにいた家康 Vol.14 金ヶ崎城

2023.04.16

この連載は、2023年の大河ドラマ『どうする家康』で舞台となった地を
後追い、あるいは先読みしながらご紹介していくものである。
なお、タイトルにちなんで、記載は年齢問わず「家康」で統一する。

『どうする家康』ちょっとふりかえり

福井県敦賀市のプロモーションみたいな感じで始まった第14回。
織田家臣たちに侮られ、織田信長を怒らせてまで諫言をした徳川家康と、
浅井長政の裏切りを伝えるため奔走する阿月の姿が印象的でした。

後の三英傑、徳川家康らが危機に瀕した「金ヶ崎城」

今回ご紹介する史跡は、「金ヶ崎の退き口」の舞台として有名な金ヶ崎城です。
「金ヶ崎の退き口」は、危機に陥った織田信長・木下秀吉・徳川家康らが行った撤退戦。
織田信長は妹・お市から届いた「両端を縛った小豆の袋」により浅井長政の裏切りを察知した
という逸話がありますが、『どうする家康』ではこの逸話をうまく活用していましたね。

織田信長の視点から見た「金ヶ崎城跡」の記事はこちら

・金ヶ崎城 遠景と入口、桜の時期に開催される「花換まつり」の時期に訪れた際の写真です

・金ヶ崎城 織田信長が危機を脱した逸話から、難関突破の地とされる「金崎宮」

・金ヶ崎城 城跡碑と、金崎宮の左手にある登城口

・金ヶ崎城 登城路半ばから振り返ると、「天筒山城」が遠くに見えます

写真上側に行けば城跡方面ですが、まずは左側へ進み国吉城がある方面をチェック

朝倉攻め時に織田信長が入城した「佐柿国吉城」の記事はこちら

・金ヶ崎城 登城路にある「尊良親王御陵墓見込地」
南北朝時代に起こった金ヶ崎の戦いで、敗れた尊良親王が自刃といわれる場所です

 

「金ヶ崎の退き口」における徳川家康

織田軍が手筒山城を落とし、金ヶ崎城を開城させた後、
徳川家康は金ヶ崎城の北東にある木の芽峠あたりに進軍したといわれております。
朝倉攻めの先陣を切る役目を任されて先行していたようですが、
結果的に、浅井氏と朝倉氏との挟撃にあう危険性が最も高い場所に位置することに。
大ピンチの徳川家康は、金ヶ崎城まで戻り木下秀吉・明智光秀・池田勝正らと合流、
やむなく撤退戦の殿(しんがり)という危険な役割を担うことになったと思われます。

 

・金ヶ崎城 ここまで登ればあと少し、左手に進めば「古戦場跡碑」と古墳が

・金ヶ崎城 本丸跡ともいわれる「月見御殿跡」、ここからは敦賀湾が一望できます

・金ヶ崎城 帰りは別ルート、南北朝時代以降のものといわれる遺構を見に行きましょう

・金ヶ崎城 こちらが「三の木戸跡」、写真中央のコンクリート部はかつて土橋だった場所です

朝倉方が兵糧庫としたといわれる場所で、炭化した米が出土した「焼米石出土跡」

・金ヶ崎城 「二の木戸跡」を上から見た図と、看板の後ろにある見事な竪堀

・金ヶ崎城 最後は「一の木戸跡」、道の先は天筒山方面に続いております

「一の木戸跡」の竪堀、階段を降りて下から見るとド迫力

 

次回は金ヶ崎の退き口から姉川と、織田・徳川と朝倉・浅井の戦いが激化。
ドラマ内で織田信長から殿を突然任された木下秀吉と、
巻き込まれた徳川家康及び家臣たちは、はたしてどのような動きを見せるのでしょうか。
各々の心情をどう描くかとともに、合戦シーンも楽しみにしたいと思います。

今回の史跡「金ヶ崎城」

金ヶ崎城
場所:福井県敦賀市金ケ崎町1

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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