続100名城を巡る「滝山城」
2024.11.28
2016.08.03
たどりついたのは・・。
寛永寺本坊から、谷中霊園に着いた私。
ここは、第十五代将軍徳川慶喜の墓所がある場所です。
桜の木も美しいといわれている場所です。
そうはいっても、霊園に足を運ぶのはあまり気が進みません。
想像力豊かなので、妄想しているのか、または何かの気配を感じているのか、
そのあたりは深入りしないようにしているのですが、やはりなんとなく足が進みません。
しかも広い!
霊園なのに番地までついています。
谷中霊園ってとても不思議な場所です。
お墓なのに、ひとつの町のようです。
霊園なので、あまり撮影は・・と思い、写真が少なめでごめんなさい。
けれど、ありました!
葵の御紋がついたお墓が。
(ここね。失礼しますが撮影させてください。)と心の中でつぶやく私。
撮影後、近くでよく見ると何かが違う感じ。
さらにじっくり見ると、徳川家のお墓であありましたが
徳川慶喜のお墓ではありませんでした・・・・・。
(ごめんなさい。)
なかなか見つからないお墓
はやく、徳川慶喜のお墓をみつけて、早くお参りして、早く帰りたい!
そんな気持ちの私は、なかなかお墓をみつけることができません。
「もう、帰りたい。」
と思ったときに、
10分も探していませんが、やっと見つけたという感じです。
お墓はやはり他の方々より大きめです。
広めの場所にゆったりとあるという感じでした。
そして、何よりこの空間は、ほかの場所よりも明るい空気感があります。
「こちらにお参りさせていただきありがとうございます。撮影してごめんなさい。」
と挨拶をして、すぐに霊園を後に。
徳川慶喜は、晩年は一般庶民としてお暮らしだったことを、このお墓を観て実感しました。
物思いしながら帰途へ
お墓を背に、谷中霊園の出口に向かう道で思ったことは、
大政奉還をし、政権を朝廷に返上したことで徳川慶喜は、
やっとそれまでのすべての重荷を下ろしたのだろうなあ・・・ということです。
何かにしがみつき、それを守ろうとしているときは、大切で離せないもののように感じるけれど、
離したとたん、何でそんなに必死だったのだろうと思ったりするものですよね。
徳川慶喜にとっては、徳川将軍家にとっては、必死に守らねばならないことだったとは思います。
けれど離したことによって、自由になり、その後の人生は、それなりに幸せだったかもしれないと思うのです。
気がついてみると、寛永寺本坊では降っていた雨は止んでおり、谷中霊園内では一度も傘を開かずにいました。
少し怖かったけれど、来ることができてよかった。
徳川慶喜さん、ありがとうございました。
JR上野駅・鶯谷駅周辺
上記地図をご参照ください。
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rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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