武将愛 SAMURAI HEART

足跡を巡る 徳川家康の巻:其の六

2022.02.26

「足跡を巡る」とは

戦国武将の生涯を、写真とともに辿っていくシリーズ。
物事が起こった年代、諸説ある動機や人間関係などについては
深く考えずにざっくりとふれていく連載である。

第一次上田合戦

天正壬午の乱、小牧・長久手の戦いを終えて一息ついた徳川家康でしたが、
今度は、沼田領の引き渡しを巡って真田氏と敵対関係に。

引き渡しを拒絶した真田昌幸は、上杉氏と結び上田城で臨戦態勢。
徳川家康は、鳥居元忠・大久保忠世らを派兵し制圧に取りかかります。


数に勝る徳川軍でしたが、地の利を活かす真田軍の前に大混乱。
上田城を攻め落とすどころか、小諸城まで敗走する羽目に陥ります。


上田城跡
所在地:長野県上田市二の丸2

小諸城跡
所在地:長野県小諸市丁311

豊臣秀吉への臣従と駿府城完成

豊臣秀吉からの度重なる臣従要請を拒み続けていた徳川家康でしたが、
1586年に豊臣秀吉の妹・朝日姫を室とし、大坂城で豊臣秀吉への臣従を表明。

この間、1585年から築城をはじめていた駿府城が1589年にほぼ完成。
17年もの間拠点としていた浜松城から、こちらに居を移しました。


駿府城跡
所在地:静岡県静岡市葵区駿府城公園1−1

 

徳川家康が晩年を過ごした駿府城。ボランティアガイドさんとめぐってみたの記事はこちら

 

小田原征伐

豊臣政権下での徳川家康は、縁戚であった北条氏との折衝を担当。
しかし、北条氏は豊臣秀吉への臣従を拒絶し、対決姿勢を強めてゆきます。

徳川家康は北条氏と断交し、豊臣方として重要な山中城攻めに参戦。
西の丸を攻略する活躍で、豊臣方の勝利に大きく貢献しました。


こちらは、数ある小田原城の支城の一つ、河村城。


支城を次々と攻略され、小田原城を包囲された北条方は万事休す。
先代当主・北条氏政らの切腹を条件に降伏し、小田原城は陥落しました。

山中城跡
所在地:静岡県三島市山中新田410−4

河村城跡
所在地:神奈川県足柄上郡山北町山北

江戸へ

北条氏の降伏後、豊臣秀吉は徳川家康に北条氏旧領と関東の地への移封を命令。
徳川家康は、わずか1年で本拠地を駿府城から江戸城へ移しました。


江戸城ガイドvol.1 江戸城跡ってこんなところ!ざっくり案内の記事はこちら

江戸城に入った徳川家康は、支城に重臣たちを配置し統治を開始。
下の写真は、徳川四天王の一人・井伊直政を配置した箕輪城です。


江戸城跡
所在地:東京都千代田区千代田1−1

箕輪城跡
所在地:群馬県高崎市箕郷町東明屋

 

おまけ

其の一は、時代に翻弄された朝日姫のお墓がある瑞龍寺。
豊臣秀吉が供養を行ったのが京都の東福寺、徳川家康が行ったのがこの地だとか。


其の二は、小田原征伐の戦地となった支城のひとつである金山城。
日ノ池が有名ですが、石垣も堀切もある見どころ盛りだくさんのお城です。


瑞龍寺
所在地:静岡県静岡市葵区井宮町48

金山城
所在地:群馬県太田市金山町40−106

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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