100名城を巡る「甲府城」
2024.10.29
2024.03.21
徳川家康が名をつけたといわれる清瀧寺。「清瀧寺」と書いて「せいりゅうじ」と読みます。
静岡県浜松市にある静かなお寺。控えめな池に注ぎ込む瀧は、徳川家康が訪れた当時、どれくらいの清水が流れ落ちていたのでしょう。今回は、ひっそりと佇む山寺、「清瀧寺」について、私なりに解釈してみました。
まずは、こちらの案内板をご覧ください。
このように記載されています。
徳川家康は、天正9年にこのお寺に訪れた際、清水が湧き出ているのを見て、お寺の名前を「清瀧寺」と名づけて、徳川信康のおくり名を「清瀧寺殿」としたということも案内板に記載されていました。
この案内板を読んでいて、ふと気になったのが「おくり名」と記載されていたこと。
「おくり名」というのは、あまり聞かないなと思い調べてみました。
「おくり名」というのは、いろいろ調べてみると、どうやら「神道」における、いわゆる戒名のようなもので、亡くなった方のお名前ということがわかりました。
さらに神道では、生前の人物の徳やおこないを称える意味が込められているということで、「岡崎次郎三郎信康」ではなく「清瀧寺」を使い、その後ろに「殿」をつけたところに、徳川家康の想いが見え隠れするように感じました。
神道では人は全て神の子とされているので、現世での役割を終えると、おくり名をつけてもらい、神のいる世界に戻り、子孫を見守り続けるという考え方だそうです。
徳川家康の「神格化」にも通じるような気がして、私は、徳川家康の信康に対する本当の想いを感じるようなエピソードだと思いました。
〈徳川家康の幼少期についてもチェック〉
こちらは「塩地蔵尊」です。清瀧寺だけにあるものというわけではなく、塩をお供えし、信仰するお地蔵様が一般的には「塩地蔵尊」と呼ばれています。
塩といえば、お清めの意味も強いので、徳川信康にまつわる悲しい出来事に、「お清め」の意味をもってのお地蔵様なのかもしれません。もしそうであるなら、徳川家康の本心が「塩地蔵尊」からも伝わるような気がします。
(いつの時代からあったのか、はっきりしなかったため、こちらはものすごく憶測です)
この「清瀧寺」は、少し寂しい感じのするお寺ですが、徳川家康の胸中を勝手に考えるなら、徳川家康の優しさも感じることができるお寺でもあるかなと思いました。
仏教の戒名は、亡くなった後に仏様の弟子になることを認められた名前といわれますが、徳川家康が、のちに神格化されたのも、この神道の考え「子孫を見守り続ける」をもってみると、なんとなく納得できる、そんなことを思ったお寺でした。
静岡県浜松市天竜区二俣町二俣1405
電車 遠州鉄道「西鹿島駅」下車 徒歩約40分
天竜浜名湖鉄道「二俣本町駅」下車 徒歩約15分
バス 遠鉄バス「二俣仲町」下車 徒歩約15分
通年参拝が可能
入場・参拝無料
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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