100名城を巡る 鉢形城
2024.05.27
2024.09.28
この連載は、公益財団法人日本城郭協会が定めた「日本100名城」の中で、
筆者が訪れたことがあるお城を紹介してゆくものである。
なお、城郭名は「日本100名城」の表記に合わせ記してゆく。
今回の史跡は、日本100名城の17番、群馬県太田市の「金山城」。
1469年(文明元年)、新田一族の岩松家純が築城したとされており、
新田荘(にったのしょう)太田という地に築かれたことから
「新田金山城」「太田金山城」という別名もあります。
1528年(享禄元年)頃には、岩松氏の家老だった横瀬氏が台頭。
横瀬氏は「金山城」を奪い、その後に由良氏と改姓し太田の地を治めますが、
隣接する上杉氏・武田氏・北条氏による攻撃にさらされることに。
由良氏は「金山城」を改修し、強敵たちの攻撃を良く防いだようですが、
1584年(天正12年)北条氏に攻められた際、「金山城」を明け渡すこととなります。
その後、1590年(天正18年)の小田原攻めで北条氏が豊臣秀吉に屈すると、
「金山城」は前田利家らが接収、同年に廃城となったようです。
関東地方において珍しい「石垣つくり」の山城であり、
岩盤を削ってつくられた「物見台下堀切」、儀式用の池である「日ノ池」
復元整備された「大手虎口」など見どころ満載の城です。
・山上に完備された駐車場から城巡り開始
この総合案内板をチェックしてから東へ進みましょう
・東へ進んでいくと、まず現れるのが「西矢倉台西堀切」
底面には石が敷き詰められ、通路となっております
・さらに進むと、もうひとつの堀切である「西矢倉台下堀切」が
・西矢倉台付近を通過すると、石が積まれた「物見台下虎口」が目前に
往時は、虎口の奥を隠す役割を果たしていたようです
・虎口の左側にあるのは、岩盤を削りつくった「物見台下堀切」
・物見台下虎口から先へ進み、木橋の上から「竪堀」を見る
・「馬場下通路」の先にある階段を登り左手へ、
「物見台」から先ほど通った虎口や景色を楽しみましょう
・物見台から東方面へ進むとあるのが、この「馬場曲輪」
往時は、大手虎口を守る兵たちが待機した場所だったとか
・大手虎口へ向かう前に、下段の「馬場下曲輪」から西方向を見学
金山城主・横瀬氏が由良氏と改姓したのは1565年(永禄8年)頃。
由良氏の治める上野(こうずけ)は、近隣に越後の上杉氏、甲斐の武田氏、
相模の北条氏がひしめきあい、絶えず争いに巻き込まれていたようです。
この当時、武田氏と北条氏は「甲相駿(こうそうすん)三国同盟」を結んでおり
今川氏を含め協力関係にありましたが、1568年(永禄11年)に武田信玄が
駿河へ侵攻すると、激怒した北条氏康がこの同盟関係を破棄。
翌年には上杉氏と北条氏が「越相(えつそう)同盟」を結び武田氏と敵対、
1571年(元亀2年)に北条氏政が亡くなり北条氏政に代替わりすると、
北条氏と上杉氏の同盟が終わり、北条氏は武田氏と和睦しました。
その後、上杉謙信が亡くなり1580年(天正7年)に上杉家の家督争いである
「御館(おたて)の乱」が起こると、北条氏と武田氏の関係が破綻。
この間、由良氏のいた「金山城」は、上杉氏についていた時は北条氏に、
北条氏についていた時は上杉氏と武田氏に攻められたようですが、
「難攻不落の城」として立ちはだかり落城はしませんでした。
しかし、1584年(天正12年)に北条氏から城の明け渡し要求がされると
由良氏当主の由良国繁はこれに従わず対立することに。
「金山城」のパンフレットによれば、由良国繁はこの時小田原で軟禁されており、
由良国繁の助命を条件とし「金山城」を明け渡したといわれております。
1590年(天正18年)に北条氏が滅亡すると、役目を終えた「金山城」は廃城。
由良国繁は豊臣秀吉、さらにその後は徳川家康に仕え活躍し、
由良氏はその後、江戸幕府の儀式や典礼を司る「高家」職に就き存続しました。
・馬場下曲輪から移動し、素晴らしき石づくりの「大手虎口」へ
私事ではありますが、撮影に夢中となり転倒した思い出の地です
・大手虎口から先へ行く前に、左手にある「月ノ池」と「大堀切」もチェック
「月ノ池」は、水の豊富さを見せつけるためこの位置につくられたそうです
・大手虎口背後にある石を積み上げた「段状土塁」には、雨水などの排水を考え
石組の排水路、下段の石を手前に出す「アゴ止め石」などの工夫が満載
・大手虎口を通過し、「金山城」の象徴といっても過言ではない「日ノ池」へ
月ノ池とは異なり、こちらは儀式に使われた神聖な池だそうです
・月ノ池から坂道と階段を登り、最高位にある「本丸」に到着
現在、「本丸」には新田神社などが鎮座しております
・本丸にある新田神社から二の丸へ降り、北にある裏手へ
こちら側に行けば、往時の野面積み「石垣」が見られるのでお忘れなく
・最後は駐車場まで戻り、西側にある「西城」と「見附出丸」へ
西側守備のためつくられた土塁や空堀が残っております
金山城へ向かう道中にある「史跡金山城跡ガイダンス施設」には
精巧なジオラマや「金山城」の歴史展示がありますので、
事前にここへ寄りチェックしてから登るのが良いでしょう。
「金山城」本丸に鎮座する「新田神社」
場所:群馬県太田市金山町40−106
電車でのアクセス:東武鉄道「太田駅」下車後、北方向へ徒歩約40分
車等でのアクセス:北関東自動車道「太田桐生IC」から南西方向へ約15分
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新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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