武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2022年9月16日記事のため内容が古い可能性があります。

足跡を巡る 上杉謙信の巻:前編

2022.09.16

「足跡を巡る」とは

戦国武将の生涯を、写真とともに辿っていくシリーズ。
物事が起こった年代、諸説ある動機や人間関係などについては
深く考えずにざっくりとふれていく連載である。

「足跡を巡る」シリーズはこちら

上杉謙信の誕生

1530年、春日山城で生まれる。父は長尾為景、母は虎御前。
幼名の「虎千代」は、寅年生まれということから名付けられたとか。


1537年、兄・晴景が家督相続した年に虎千代は林泉寺へ入門。
このとき、住職である天室光育から厳しい教育を受けたと言われております。


春日山城跡
所在地:新潟県上越市中屋敷

林泉寺
所在地:新潟県上越市中門前1丁目1−1

元服から家督相続、名を「景虎」に

元服は14歳頃にあたる1543年。名を「景虎」とし、栃尾城主となります。
翌年、栃尾城へ豪族たちが攻め入るも撃退。景虎は華々しく初陣を飾りました。


1545年、黒田氏が謀反を起こすと、晴景にかわって景虎がこれを鎮圧。
1548年には晴景の養子となる形で家督を継ぎ、守護代として春日山城へ。

栃尾城跡
所在地:新潟県長岡市栃尾町

越後統一へ

1550年に上杉定実が死去すると、景虎は足利義輝より越後守護の代行を命じられ実質的な国主に。
これに不満を覚えた坂戸城主・長尾政景が謀反を起こしますが、翌年には鎮圧に成功します。


長尾政景の謀反を鎮圧したのも束の間、1552年には北条氏に敗れた関東管領・上杉憲政が
景虎を頼って越後へ。景虎は御館を建築し、上杉憲政を迎え入れました。


上杉憲政を保護し北条氏と敵対関係となり、1553年には川中島の戦いが開始。
この苦難の連続で、若き景虎は1556年に出家まで考えたというお話もあるそうな。

上杉謙信と武田信玄の5回にわたる川中島の戦いを振り返る「足跡を巡る 武田信玄の巻:後編」はこちら

坂戸城跡
所在地:新潟県南魚沼市坂戸691

御館跡
所在地:新潟県上越市五智1丁目22

おまけ

数ある上杉謙信像の中から、栃尾城跡の近くにある2つをご紹介。
この躍動感のある騎馬像は、長岡市栃尾美術館の入口付近にあります。

こちらは栃尾美術館のすぐ近く、秋葉公園におわします坐像です。

長岡市栃尾美術館
所在地:新潟県長岡市上の原町1−13

秋葉公園
所在地:新潟県長岡市谷内2丁目8−4

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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