武将像を巡る:令和四年のふりかえり
2022.12.24
2022.04.17
かつては天守が存在した城に再建するもののうち、
資料が乏しいため他の天守を参考に再建したり、
資料はあるものの異なる外観で再建された天守を指す。
別名:鮫ヶ城、関城など。新潟県上越市にある輪郭式平城。
1614年、徳川家康の六男・松平忠輝の居城として天下普請で築城。
1993年に、天守の役割を果たしていた三重櫓が再建される。
高田城址公園駐車場から北進し、まずは本城堀にかかる極楽橋へ。
2002年復元された、二の丸と本丸をつなぐ木橋です。
内堀にあたる本城堀は幅が広く、最大幅58メートルの箇所もあるそうな。
極楽橋を渡り、現在は中央に中学校が鎮座する本丸へ。
石垣の名残り発見!と思いきや、こちらは橋台と推測される石。
ちなみに、高田城は石垣を使わずつくられた土と堀のお城です。
この絵図看板がある岐路を左に曲がり、三重櫓の方へゆきましょう。
そしてこちらが、松平光長時代の絵図をもとに再建された三重櫓。
天守が築かれなかったため、実質的には天守として扱われていました。
三重櫓付近から見ると、土塁の分厚さと本城堀の幅広さがよくわかりますね。
こちらは、明治以降につくられた西側の出入口付近の眺め。
この西側から見上げる三重櫓が、個人的に一番オススメ。
石垣ではなく土塁上にある三重櫓というのも良いものです。
橋を渡り、堀を右手に見ながら南側へ移動。
この方角から見ると、三階櫓下の土塁がより綺麗に見られます。
同位置から東側を見れば、最初に通過した極楽橋が。
最後は、三の丸跡南側の外堀にあたる南堀。
夏頃になれば、かつて「東洋一」と称された満開の蓮の花が見られるとか。
まだ土塁の魅力を知る前に行った城なので、次の機会にはじっくり回りたいところです。
次回は、天空の城としても有名となった、越前にあるあのお城へ。
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電車で行く:JR「高田駅」下車後、南東方面へ徒歩約25分。
車 で行く:上信越自動車道「上越高田IC」より、北東方面へ約10分。
地域カテゴリ
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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