武将愛 SAMURAI HEART

100名城を巡る 水戸城

2024.02.12

この連載は、公益財団法人日本城郭協会が定めた「日本100名城」の中で、
筆者が訪れたことがあるお城を紹介してゆくものである。
なお、城郭名は「日本100名城」の表記に合わせ記してゆく。

徳川御三家のひとつ、水戸徳川家の居城だった「水戸城」

今回の史跡は、日本100名城の14番、茨城県水戸市の「水戸城」。

平安時代末期の建久年間(1190~1198年)頃、
馬場資幹(すけもと)が水戸の地に居館を構えたのがはじまり。
その後、室町時代に入りに江戸氏→佐竹氏と城主が移り変わり、
この時代に水戸城は城郭として整備されたといわれています。

関ヶ原の戦い後に佐竹氏が転封となると、水戸城は徳川氏の城に。
1602年(慶長7年)に武田氏の名跡を継いだ徳川家康の五男である武田信吉、
1603年に十男の徳川頼宣、1609年に十一男の徳川頼房が城主となりました。
徳川頼房は三代将軍・徳川家光から頼りにされ江戸に定府することが多く、
水戸と江戸を行ったり来たりしながら水戸城や城下町を整備。
9代藩主である徳川斉昭の時代には、「偕楽園」が造営されました。

1864年(元治元年)に起こった「天狗党の乱」に関する争いで水戸城内の多くの
建物が焼失し、さらに後には空襲で三階櫓が焼失してしまいますが、
2020年に大手門、2021年には二の丸角櫓と土塀が復元されております。

 

徳川御三家「水戸城」の見学ルート①

・三の丸跡に建つ「水戸藩校弘道館」からスタート

・2020年に復元された、巨大な「大手門」から二の丸跡方面へ
両サイドにあるおしゃれな瓦塀も要チェックです

・こちらは、大手門の手前に架かる大手橋から南方面を見た図
道路はかつての深い空堀、左上手には復元された「土塀」が

・大手門をくぐり、現在小中学校と高校の建つ「二の丸跡」へ
左手には、あの『大日本史』が編纂された「彰考館跡」があります

・広い道を進んでいくと、右手にあるのが「二の丸角櫓入口」
写真右の引き戸が入口、入れるのは16時までなのでご注意

・さらに東へ進むと、北側の出入口だった「杉山坂」と「杉山門」があります

・大手門から400mほど歩き、ようやく二の丸跡の東端に到着
二之丸跡と本丸跡を隔てる「大堀切」は、現在線路となっております

・現在「本丸跡」は学校の敷地内となっておりますが、
唯一の現存建築物である「薬医門」は見学可能ですのでお見逃しなく

 

 100名城「水戸城」ゆかりの江戸氏と佐竹氏

室町時代の常陸国は、佐竹氏が常陸守護となっていたものの、
江戸氏、大掾氏(だいじょうし、かつての馬場氏)、結城氏らが割拠。
1545年(天文14年)に佐竹氏17代当主となった佐竹義昭が
常陸国統一まで迫りましたが、1565年(永禄8年)に急逝し統一はできず。

この時の水戸城(当時は馬場城)主は、江戸氏7代当主の江戸忠通(ただみち)。
江戸氏はおよそ170年にわたり水戸城を拠点としていたものの、
1590年(天正18年)に豊臣秀吉の小田原攻めが行われると事態は急変します。

北条氏に味方した江戸氏は豊臣秀吉と敵対することになり、
対する佐竹義重・佐竹義宣父子は豊臣秀吉に従い小田原に参陣。
佐竹氏は奥州仕置にも参加、これらの活躍により常陸国を与えられ、
これを機に、佐竹義重が「水戸城」を攻め落としその後居城としました。

佐竹義宣は豊臣政権下で活躍しながら水戸城改修を施しましたが、
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後に転封となり、「水戸城」から離れることに。
1602年(慶長7年)に上洛した佐竹義宣は、徳川家康から急に転封を命じられ、
水戸に戻ることなくそのまま出羽国秋田へ向かった、といわれております。

豊臣秀吉の誕生の碑がある!名古屋市中村区の「豊国神社」

 

徳川御三家「水戸城」の見学ルート②

・水戸藩校弘道館まで戻り、南→西へ進み三の丸跡巡りへ
道中右手にある小学校には「冠木門」が建っております

・「三の丸跡」に建つ茨城県庁三の丸庁舎を見ながら北→東へ

・こちらは2019年復元の「北柵御門」、背後の土塁も復元されております

・北柵御門の少し先にある鹿島神社参道から進入
右手にある復元された「通路」や「土塁」をチェック

・大鳥居をくぐり、水戸藩校弘道館の主要施設だった「鹿島神社」本殿へ

・鹿島神社本殿のすぐ隣にある「八卦堂(はっけどう)」
堂内には、高さ3m以上もある弘道館記碑が納められているとか

・鹿島神社から西へ進み、「馬場跡・調練場跡」を通過し三の丸跡へ

・「土塁」を見ながら三の丸跡西側へ進み、大空堀を見に行きましょう

・「水戸城」の見どころのひとつである、三の丸跡西側の素晴らしい「大空堀」
春には桜、秋には銀杏がきれいに見られる人気スポットです

・最後に、「二の丸角櫓」を見られるポイントを探し散策
こちらは、水戸駅北口の歩道橋あたりから撮影したものです

 


 

付近にある「偕楽園」や「徳川ミュージアム」はもちろん、
水戸城にある「二の丸展示館」なども見どころ満載なので
時間にかなり余裕を持って訪れるのが良いでしょう


水戸駅前にある「水戸黄門と助さん格さんの像」

今回の史跡「水戸城」

水戸城跡(水戸藩校弘道館)
場所:茨城県水戸市三の丸1丁目6−29

電車でのアクセス:「水戸駅」から北へ徒歩約10分
車等でのアクセス:北関東自動車道「水戸南IC」から北方向へ約15分

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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