100名城を巡る 金山城
2024.09.28
2016.09.06
さて、突然ですが問題です。
「小江戸の川越」といえばなにをイメージするでしょう?
蔵の町並み?時の鐘?川越名物さつまいも?いえいえ、それだけではないんです!
「小江戸」という二つ名の通り、川越は江戸時代に川越藩の城下町としてさかえた地ですが、実はここ、古来より軍事上の要所として重要視されていました。
川越に城が築かれたのは室町時代。
天正18年(1590年)徳川家康が関東へ移封されて以降は、江戸の北の守りとして川越藩を置き、酒井重忠をはじめとした有力な譜代大名や親藩が藩主となってこの地を治めるようになります。
城下町として整備されたのは江戸時代に入ってからです。
蔵造りの町並みは、今も大切に保存されています。
川越シンボルである時の鐘は残念ながら耐震工事中でした。
(耐震工事は平成27年7月下旬から平成28年12月頃までを予定)
川越藩の歴代藩主はなんといってもキャリアぞろい。
初代藩主の酒井重忠や弟忠利はなんと家康の再従弟!いわば身内、そして長年家康に仕えてきた重臣です。
酒井忠勝は3代将軍徳川家光の時代の大老としても知られていますし、柳沢吉保も川越藩主だったというのだから驚きです!
徳川幕府から実力を認められた信頼の象徴、それが江戸の北を任された川越藩の藩主だったといえるでしょう。
また、川越城から程近くに位置する喜多院の第27代住職は天海大僧正でした。
徳川家康の側近でしたが、家康の没後も秀忠・家光の3代に渡り徳川家のブレーンとして絶大な影響力があった人物です。
川越は江戸にとっての要所であり、徳川家康とゆかりの深い人たちがかかわる地だったのですね。
徳川家康はしばしば川越を訪れていました。
その目的は趣味の「鷹狩り」。
ただ好むだけでなく、身体を鍛えるための健康法としても鷹狩りを取り入れていたのだとか。
代々徳川将軍は鷹狩りを好んでおり、3代将軍徳川家光も鷹狩りをするために川越を訪れています。
川越には徳川家や藩主の庇護を受けた神社仏閣が今も残っています。
これからも魅力あふれる川越を、まだまだご紹介していきます!
次回は「川越城」についてご紹介します。どうぞご期待ください。
〈車でのアクセス〉
関越自動車道「川越IC」より 10分
圏央道「狭山日高IC」より 35分
〈徒歩でのアクセス〉
西武新宿線「本川越駅」より 10分
東武東上線・JR川越線「川越駅」東口より 20分
東武東上線「川越市駅」より 15分
※駅・各所で川越散策マップが無料配布されています。
Forest Valley
埼玉県出身。ゆくところに史跡があれば見に行かずにはいられない、筋金入りの歴史好きです。好きが高じて、発掘作業のお仕事をしたことも。ちょっと変わった視点から、皆様に「おっ!」と興味を持って頂けるような楽しい記事にしていきたいと思います。
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