武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2017年5月5日記事のため内容が古い可能性があります。

徳川家康ファンなら絶対に行っておきたいお宝の宝庫「金米山宝臺院」とは?

2017.05.05

静岡駅から徒歩圏内!徳川家康ファン必見の「金米山宝臺院」

駿府といえば徳川家康。

駿府は明治期に「静岡」と呼ばれるまでの約1200年もの間、駿河の国として栄えてきた街です。

その駿府は現在静岡市として、駿府徳川家康を盛り立てる都市として発展しています。

そして、静岡市の玄関である「静岡駅」から徒歩圏にある「金米山宝臺院(宝台院)」には、

徳川家康ゆかりの宝物を間近でみることができます。

 

徳川家康自画像と真の太刀

 

姫たちの武将愛Vol.8でもご紹介しましたが、静岡市にある「金米山宝臺院(宝台院)」は、

「こんぺいさん ほうだいいん」と読み、通称「宝台院」と呼ばれています。

(お愛の方視点の金米山宝臺院の記事はこちら→「姫たちの武将愛vol.8~家康最愛の側室 お愛の方(西郷の局)」

浄土宗のお寺で、もとは1507年に鎌倉光明寺九世祐崇が駿府に龍泉寺として建立したお寺です。

1589年に、お愛の方(西郷の局)がご逝去され、ここが菩提寺となりました。

のち1604年には、徳川家康が自らを描いた自画像と、

徳川家康の父である徳川広忠から贈られた「真の太刀」が徳川家康からこちらのお寺に寄進されました。

 

徳川家康公守りの白本尊

徳川家康は自身が神格化し、日光東照宮で「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」として祀られていますが、

1616年の葬儀は、東京都にある増上寺で行われました。

その際、増上寺の観智国師が導師となりましたが、

副導師は金米山宝臺院(当時は龍泉寺)の第六世三誉典育上人でした。

翌年には二代将軍徳川秀忠より寺の改修の命があり、

快慶による「家康公守り本尊 白本尊阿弥陀如来」が安置されました。

実は、この「白本尊阿弥陀如来」には、もうひとつ縁の阿弥陀如来があります。

それは、増上寺にある「黒本尊阿弥陀如来」。

(増上寺黒本尊阿弥陀如来の記事はこちら→お江戸東京 徳川家康の策 増上寺は鬼門封じの寺」

徳川家康の守り本尊は、このように白と黒のふたつ、そしてそれらは別の場所に安置されているのです。

 

徳川慶喜公と金米山宝臺院

徳川政権が移り行こうとするときの将軍、十五代将軍徳川慶喜は将軍の職を剥奪されると、しばらくは水戸で謹慎をしていました。

そののち謹慎の地を駿府へ移されましたが、その移された場所が金米山宝臺院でした。

なんと千葉県銚子から旧幕府軍艦蟠竜艦に乗って清水港に上陸し、その後は東海道で金米山宝臺院に入りました。

そして謹慎が解かれるまで金米山宝臺院に住まわれていたのだそうです。

 

徳川慶喜の謹慎の場は、水戸、駿府の他に東京の寛永寺にも「謹慎の間」があります。

(寛永寺の記事はこちら→「お江戸東京 徳川家康の策 寛永寺は鬼門封じの寺」

 

金米山宝臺院の徳川家康ゆかりの宝物

金米山宝臺院には、このほかにも徳川家康が手習いした直筆の「安元御賀記手習」や、

金米山宝臺院の侍女であったジュリアおたあが信拝した灯篭などもあります。

 

 

金米山宝台院龍泉寺へのアクセス

静岡県静岡市葵区常磐町2132

 

JR東海道本線 東海道新幹線 静岡駅下車 徒歩15

 

拝観時間:月~金 9001700

         (土日祝日・団体は事前予約)

休館日:年末年始・お盆期間

※最新の情報についてはご自身でご確認をお願いいたします。

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rico

教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。

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