徳川家康の側室「お万の方」とゆかりのある「蓮永寺」
2024.04.01
2018.07.17
家康には側室がたくさんいたといわれていますが、その中でもとても大切にされていた側室が「お愛の方」だとされています。
この「お愛の方」とはどんな女性だったのかを知りたいと思い、菩提寺である宝台院に行ってみました。
徳川家康ファン必見の宝庫「宝台院(宝台院龍泉寺)」をご紹介した記事はこちら
1589年5月19日。お愛の方は駿府城でご逝去されました。
まだ38歳という若さだったといいます。
お愛の方は27歳で家康の元にやってきました。
この当時の家康は、三方ヶ原の戦い、設楽原の戦い、小牧長久手の戦いと戦いが続き苦難の時代でした。
浜松城主だった家康の台所を仕切っていたお愛の方は、家康の辛く厳しい時期を共に過ごし、支えていた側室だったのでしょう。
徳川家康目線で 「長篠設楽原の戦い」をおさらい
(リンク先の中盤でご覧いただけます)
1586年、家康は浜松城から駿府城に移り、名実ともに実力者となりましたが、
この時の家康は、まだまだ気を抜けない厳しい時期でした。
そのためか、お愛の方は大変な心労と疲れで倒れてしまい、
駿府入城よりわずか三年間で生涯を終えてしまったのです。
このお愛の方と家康との間には、男の子がありました。
長男が長丸、次男が福松丸です。
長男である長丸は二代将軍徳川秀忠、そして次男は尾張松平忠吉です。
お愛の方は、長男の秀忠を生んだことをきっかけに正式な側室として西郷の局と呼ばれるようになりました。
ちなみに、徳川秀忠の妻はお江与の方(崇源院)、そして松平忠吉の妻は政子といいます。
政子は井伊直虎がのちに後見した井伊直政の娘です。
井伊直政は徳川家康に仕官し、功績を上げて徳川四天王のひとりとなります。
徳川秀忠は、生母の菩提寺である宝台院をとても大切にして盛り立てたといいます。
1628年には現在の場所に大伽藍を建立しました。
そしてこの供養の際に、お愛の方は「宝台院殿一品大夫人」と戒名が改められたそうです。
それと同時にそれまで「龍泉寺」といわれていたお寺の名は、宝台院龍泉寺と「宝台院」が加わり、今では「宝台院」と呼ばれるようになったということです。
家康最愛の妻であったといわれる「お愛の方(西郷の局)」。
そのお人柄は思いを馳せることしかできません。
けれど戦国の世に大切にされた妻はきっと、戦いに向かう夫の心を優しく強く支えていたのではないかと思います。
静岡県静岡市葵区常磐町2-13-2
JR東海道本線 東海道新幹線 静岡駅下車 徒歩15分
拝観時間:月~金 9:00~17:00
(土日祝日・団体は事前予約)
休館日:年末年始。お盆期間
拝観料:本堂 白本尊阿弥陀如来立像・3F宝物室)
大人300円 中高生200円 小学生以下無料
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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