姫たちの武将愛 vol.5 「淀殿」を書籍やコミックから知る
2016.10.16
秀吉と淀殿の子
コミックには史実に基づいて描かれたものがいくつもあります。
大和和紀さんのコミックもそのひとつ。
現在も雑誌連載中のコミックです。
この作品の中には秀吉と淀殿のことも描かれています。
こちらはフラワーコミックスの「華の姫~茶々ものがたり」
ところで・・・、
豊臣秀吉と淀殿との間には、二人の子どもがいました。
一人は秀吉が53歳の時に生まれた鶴松、もう一人が秀頼です。
秀頼が生まれた時、秀吉は57歳でした。なかなかのご年齢です。
現代でも、石田純一さんのように60歳を過ぎても子どもを授かる方がいらっしゃるので、
男性の年齢をどのように見るかは、専門家ではないのでわかりません。
けれど、平均寿命が50歳前後といわれていた当時で57歳にして父親になった秀吉に、
「本当の父親?」と疑惑がついてしまうのは仕方がないともいえますよね。
そして、そんな秀吉よりも淀殿にはさらに厳しい目が向けられたのではないでしょうか。
秀吉も淀殿もお気の毒です。
たくさんの女房がいた淀殿。
女房の中には淀殿をよく思っていなかったものもいたでしょう。
きっと淀殿の出産を喜ぶよりも、出生の秘密を詮索することに夢中になっていたものもいたかもしれません。
「拾丸殿(秀頼の幼名)って本当に太閤殿下の子なのかしらね・・・。」
余計な噂話には、今も昔も花が咲くものです。
ムック本にも記事になっています。
秀頼はいったい・・・。
秀頼は、いったい誰の子だという説があるのでしょう。
その一人が豊臣家の家臣大野治長(おおのはるなが)です。
(「イシュタルの娘」大和和紀作・講談社 コミックの一部を撮影)
この説はコミックや歴史雑誌などにも掲載されるほど有力視されている話のようです。
この大野治長の他にあげられているのは、祈祷などに訪れていた僧侶です。
これらの話は、文献により確認されたものだそうですが、絶対とはいえません。
文献自体に間違いはないかもしれませんが、その文献が実は事実をもとにしてできた創作、
つまり作り話だったということも考えられます。
今となっては本当のことはわからないのです。
知らぬが仏
けれど、本当のことなんて実はどうでもよいことなのかもしれません。
皆さんは、ご自身が淀殿だったらどうでしょうか。
私だったら「秀頼は秀吉の子である」と心に決めるだろうと思います。
淀殿は秀吉の妻であり、自分の存在は豊臣を守るためにあるのです。
この時の淀殿に必要なことは「秀吉の子どもの母であること」です。
(「華の姫」わたなべ志穂作・フラワーコミックの一部を撮影)
まさに淀姫の武将愛です。
初めて出産した子どもを幼くして亡くした淀殿。
その悲しみはどれほどのものだったか。
そして、生まれた秀頼。
そこにあるのは「秀吉の子として生まれた」ことだけです。
秀頼を出産し、その先淀殿が秀頼とわが身を失うまで。
溺愛といわれてしまうような行動で、共に歩んでいた淀殿の心は
「失うことの怖さ」ゆえだったのではないかと思うととても辛いですね。
切ないです。
淀殿は秀頼が全て
結果的に淀殿のしたことはよかったということはできません。
けれど、淀殿を「愚か」とは言ってはいけないような気がするのは私だけではないと思っています。
そしてもちろん「秀頼は秀吉の子である」と一番に願ったのは秀吉に違いないと感じています。
淀殿のことなど歴史を知る手掛かりになるコミックは小学生向きもなかなか楽しいです。
書籍もいろいろありますね。「大阪の陣と豊臣秀頼」
武将カテゴリ
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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