100名城を巡る「甲府城」
2024.10.29
2023.10.31
静岡県葵区の安倍街道沿いには、秀吉と家康にゆかりのある瑞龍寺というお寺があります。
道元禅師が、中国から日本に伝えた曹洞宗のお寺です。
ここには、秀吉の妹であり、そして家康の正室であった、「旭姫」のお墓があります。
1543年、尾張国(愛知県)で生を受けた「旭姫」。母は「なか」、父は「竹阿弥」、4人兄弟の末っ子として育ちました。母である「なか」は、前夫が木下弥右衛門であり、「なか」と「弥右衛門」の子が、木下藤吉郎、つまり秀吉であったため、秀吉と「旭姫」は、母が同じ兄妹という関係になりました(瑞龍寺による説)。
NHK大河ドラマ「どうする家康」では、「旭姫」の役を山田真歩さんが演じました。素朴で純粋な「旭姫」のイメージが、とても印象的であり、常に緊張感と隣り合わせの武将たちには、きっと心和む時間をつくりだしてくれたことでしょう。「どうする家康」でも演じられていたように、家康の正室となった「旭姫」は、政略結婚ではありましたが、家康のことを想う気持ちは、きっと形だけではなかったと思います。それがわかるのが瑞龍寺に墓所があるということです。
純粋で心優しいイメージをもつ「旭姫」の墓所は、そんな旭姫のイメージにぴったりの、街道沿いにもかかわらず、静かで素朴な瑞龍寺にあります。他のお墓に馴染み、存在するお墓は、「旭姫」らしいと感じました。
「旭姫」は、家康に嫁いでから4年という短い生涯でした。駿府城での居城は、2年ほどだったそうです。秀吉は「旭姫」を、京都の東福寺南明院に葬りましたが、家康も、この瑞龍寺にお墓を建てたました。その理由は、確かなものがないそうですが、家康の「旭姫」を想う気持ちや、秀吉への政治的配慮があったのではということが、瑞龍寺に記されていました。また、小田原攻めの際、秀吉が駿府に立ち寄った際に、「旭姫」の供養としてお墓を立てたという説もあるようです。
供養塔ではなく墓所なので、個人的には家康の想いからという説を押したいところです。
秀吉から家康への政権が移り変わりつつある戦国期。「旭姫」も戦国武将の姫として、強く優しく生きた姫のひとりです。
静岡県葵区井宮町48
JR静岡駅からバス
安倍線・三輪大谷線「材木町」下車3分
入場料等は特になし
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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