徳川家康の側室「お万の方」とゆかりのある「蓮永寺」
2024.04.01
2023.03.26
この連載は、2023年の大河ドラマ『どうする家康』で舞台となった地を
後追い、あるいは先読みしながらご紹介していくものである。
なお、タイトルにちなんで、記載は年齢問わず「家康」で統一する。
第十二回は、冒頭から和気あいあいとしていたかつての今川家を描く泣ける演出。
もがき苦しんだ末、最後は憑き物が落ちたような今川氏真の表情が印象的でしたね。
想いというものは、伝えられるときに伝えるべきという教訓もありました。
今回ご紹介する史跡は、今川氏に代々仕えた朝比奈氏築城の掛川城。
武田信玄に本拠地・駿府を落とされ、徳川家康も東から攻め寄せるという状況で、
今川氏真が意地と誇りをかけて入城したのが掛川城でした。
・掛川城 1995年に復元された「大手門」と天守
再建当時の状況を鑑み、元の位置から50メートルほど北に建てられたとか
・掛川城 大手門のすぐ後ろにある、現存建築物の「大手門番所」
・掛川城 二の丸・本丸へ至る重要な出入口である「四足門」
・掛川城 四足門の付近には、8メートルほどの深さがある「三日月堀」や
本丸を囲んでいた「十露盤(そろばん)堀」もあります
・掛川城 「天守」へ至る階段と「長塀」、右側の門を進めば二の丸方面へ
「天守下門跡」から来た道を振り返ると、四足門や太鼓櫓が見渡せます
ちなみに、今川氏真と徳川家康が争ったこの時代にまだ天守はなく、
現在ある城郭は山内一豊が改修した以降のものです。
関ヶ原の戦い前、山内一豊が掛川城を徳川家康に明け渡し、東軍として勝利に貢献。
その功として土佐藩を任されたという逸話から、「出世城」とも呼ばれております。
・掛川城 天守丸から見上げる「天守」
徳川家康から攻められた際、霧が発生し城を守ったという伝説の「霧吹き井戸」もあります
・掛川城 木造復元「天守」の入口付近と最上階の様子
・掛川城 天守最上階から「二の丸御殿」を見た後に二の丸方面へ、天守も別角度で一枚
・掛川城 現存建築物である「二の丸御殿」、西側と玄関あたりから
・掛川城 「二の丸御殿」次の間と大書院あたりの様子
庭側にある前廊下から見上げる天守はまさに格別です
次回からは武田信玄との戦い開始と思いきや、その前に京へ行く回を挟むようです。
織田信長とともに上洛し将軍となった足利義昭、後に徳川家康の危機を救う茶屋四郎次郎など
一癖も二癖もありそうな人物たちの他、明智光秀あたりも初登場となりそうですね。
掛川城
場所:静岡県掛川市掛川1138−24
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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