武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2023年2月5日記事のため内容が古い可能性があります。

どこにいた家康 Vol.05 駿府城

2023.02.05

この連載は、2023年の大河ドラマ『どうする家康』で舞台となった地を
後追い、あるいは先読みしながらご紹介していくものである。
なお、タイトルにちなんで、記載は年齢問わず「家康」で統一する。

『どうする家康』ちょっとふりかえり

第五回は、囚われの身となっていた瀬名の奪還に向け動いた回でした。
曲者の本多正信と、武士といいつつ忍者として動く服部半蔵が初登場でしたが、
瀬名の奪還作戦は思わぬところから事前に漏れてまさかの失敗に。
妻子のことを想う徳川家康の心中は、「どうする」どころではなかったことでしょう。

今川館のあった地「駿府城」

今回は、今川義元・今川氏真が本拠地とした今川館…の跡にある「駿府城」。
徳川家康が人質時代を過ごし、後に居城としたのがこの地です。
ドラマ内では、妻子を残してきたことが気がかりだった徳川家康が
「わしは岡崎より駿府が好きじゃ!」という発言をするシーンもありました。

 

〈駿府城関連の記事はこちら〉

ボランテイアガイドさんと巡った駿府城の記事はこちら

徳川家康ゆかりのお茶が飲める「紅葉山庭園」をご紹介した記事はこちら

駿府城がある静岡県の地元の味「静岡おでん」をご紹介した記事はこちら

 

 

・駿府城 駿府城公園の南側にある「大手御門跡」

・駿府城 こちらは北側の入口「北御門跡」と二の丸堀

・駿府城 南西方向にある「坤櫓(ひつじさるやぐら)」

・駿府城 南東には「巽櫓(たつみやぐら)」と東側の入口「東御門」があります

「東御門」には桝形という広い空間があり、ここに侵入した敵は一斉攻撃を受ける羽目に

・駿府城 本丸を囲んでいた「本丸堀」と、かつて本丸の南東隅だった箇所の石垣

 

発掘調査で「駿府城」から今川館の痕跡が

2016年から大規模な本丸天守台の発掘調査がおこなわれ、
今川館時代の遺構や磁器なども発見されているようです。
この発掘調査自体は2022年でひとまず終了したとのことですが、
まだ見学はできますので、ご興味がある方は是非「駿府城」へ。

 

・駿府城 本丸跡に立つ、鷹狩りをする「徳川家康像」

・駿府城 発掘調査中の「本丸天守台」あたり(2018年頃撮影)

写真上部のブルーシートあたりで、今川館時代の薬研堀(やげんぼり)が見つかったとか

こちらは2013年頃撮影の本丸跡、この下にあのような石垣があったとは…

・駿府城 内側から見た「坤櫓」と、中の様子

・駿府城 本丸堀と二の丸堀をつないでいた「二の丸水路」
水路両側の石垣だけでなく、底まで石が敷かれておるそうな

 

今回は中盤からほぼシリアスな展開で話は進み、作戦も次回へ持ち越しです。
瀬名奪還の要は、上ノ郷城主である鵜殿長照とその二人の子を生け捕ること。
鵜殿長照は、徳川家康が大高城の兵糧入れで救った相手ということもあり、
このあたりの人間関係をどう描くのかも楽しみにしたいと思います。

今回の史跡「駿府城」

場所:静岡県静岡市葵区駿府城公園1−1

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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