続100名城を巡る 「赤木城」
2024.08.12
2024.01.23
京都の華やかな街並みとは少しちがう雰囲気が漂う「養源院」は、浅井家の菩提寺であり、お寺の名前そのものが浅井長政の院号となっています。
ご本尊が阿弥陀如来の「養源院」は、三十三間堂の向かい側にあり、関心をもっていないと立ち寄ることはない感じのお寺の雰囲気があります。なんとなくですが、寂しい雰囲気があり、そして「血天井」で知られているだけあって、悲しい感じとそれに伴う怖さも感じました。
(ごめんなさい)
取材ではありましたが、天井全てに血の跡がついているお寺に、足を踏み入れることができず、こういった写真しか撮ることができませんでした。
(申し訳ないです。ですが、ご紹介はしたかったのです)
そんな「養源院」を建てたのは、豊臣秀吉の側室淀殿。浅井家三姉妹のひとり、茶々です。淀殿は豊臣秀頼の母でもあります。その淀殿の父である浅井長政、そして祖父である浅井久政たちの二十位回忌の供養として豊臣秀吉に依頼をして建てたものです。
この「血天井」ですが、天下分け目の戦い、関ケ原の合戦(1600年)の前哨戦となった「伏見城の戦い」で豊臣方の軍勢、石田三成たちとの攻防戦で戦った鳥居元忠や、自刃した徳川軍の兵士たちの血で染まった廊下を天井に上げ、弔ったものと「養源院」には記されています。廊下全ての天井ということですから、なかなかすごいです。そしてやっぱり悲しすぎる。
NHK大河ドラマ「どうする家康」第41回の中で、石田三成が「正しき道に戻そう」といいました。石田三成にとって「正しき道」は、豊臣秀吉が築いてきた世の道だったのでしょう。そして、その石田三成には、徳川家康の考える「正しき道」は理解できなかったのでしょう。「正しき道」とは、いったいどんな道なのか、その本当のことは、誰にもわからないものなのかもしれません。浅井家の菩提寺を前にして私は、浅井長政もまた、自分にとっての「正しき道」をもっていたと感じました。そして、その心半ばの無念が伝わるような、また併せて淀殿の無念も感じるような、そんな印象を持ったお寺となりました。
京都市東山区三十三間堂廻り町656
・JR京都駅から市バス
博物館三十三間堂前 または 東山七条下車3分
・阪急電車 七条下車 徒歩10分
【参拝時間】10:00~15:00(最終受付14:45)
【拝観料】600円
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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